2014年11月10日

小成金たちの運命「私の財産告白」本多静六

本多さんは手っ取り早く成功せんとするものは、
手っ取り早く失敗してしまうと書かれています。

「かれこれ40年もの昔になろうか、
 私の知っている一人の学生があった。
 競馬に出掛けて、1千円の大当たりを取った。

 一カ月わずか6円の学費で暮らしていけた当時の一千円である。
 初めは手がふるえてその金を受け取ることができないくらいであったが
 使い慣れるにしたがってだんだん度胸も図太くなり、 
 たちまち放蕩を始めて、三カ月後にはもう元の木阿弥になってしまった。

 そうして、あとに残ったのは悪性の花柳病と
 怠け癖ばかりで、とどのつまりは、
 学業をすら放擲(ほうてき)して行方不明、
 ついに再びその消息を聞くことがなかった。

 実は、戦後のインフレ騒ぎと変動のどさくさで、
 全国到るところにそうせいした
 大小の新円成金が、ほとんど大部分、
 これと同じみちを辿ったのではあるまいか。

 金儲けを甘くみてはいけない。
 真の金儲けはだた、徐々に堅実に、
 急がず、休まず、自己の本職本業を
 守って努力を積み重ねていくほか、
 別にこれぞという名策名案ないのである。

 私が賛する儲ける事とは
 独り金銭上の儲けをいうばかりではなく、
 道徳上にも、教養上にも、生活上にも、
 社会奉仕上にもウンとプラスすることをいうのである。

 前にもしばしば、金は職業道楽の粕であるといったが、
 精神的に儲け、生活的に儲け、社会的地位、
 名誉に儲けた、儲け粕でしかないのである。」

ここの例では競馬となっていますが
宝くじでも同じと思いますが
急に転がり込んできたお金というものは
自分の手に負えるものではなく知らない間に
消えて無くなる運命のようです。

変にお金が入ってくると
今までの生活パターンが崩れてしまい
この例のように放蕩生活になって
自分の生活を壊してしまいますので
私は宝くじは買わないことにしています。

ここの本多さんの文章で心に留まるのは
お金というのは努力した結果の粕
であるというところではないでしょうか。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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