2014年11月17日

人を使うには・人に使われるには「私の財産告白」本多静六

本多さんは人を使うには
使う人の誠心誠意の問題であると書かれています。

「「使うには使われろ」という言葉が昔からある。
 これは、人を上手に使うには、
 自分自身まず使われる体験をもたねばならぬという意味と、
 また使う者は使われる者の身になって
 すべてを考えよという意味の二つが含まれているようである。

 さらに徹底した解釈では、人を使うのは、
 結局人に使われるのだというのである。

 もう3、40年も前のことになる。
 有名な麻布中学の校長をしていた
 江原素六翁が、寄宿舎の窓から
 生徒が投げ散らかす紙くずを、
 いつも早朝、自らニコニコしながら
 拾い歩いていたが、とうとう一人早起きの生徒が
 それをみつけて、寄宿生一同に話したところ、
 みんなが感動して、それから一切紙屑を
 窓下へ捨てぬようになったということだった。

 さっそくその真似事の実行を思い立った。
 ところが、私の姿を見付けたときこそ、
 舎生一同も掃除を手伝ってくれたが、
 その効果もその時だけで、一向に長続きをせず、
 舎内は相変わらず不潔と乱雑を改めなかった。

 すなわち、江原翁は生徒を真にわが子のように愛し、
 その遊び跡の散らかりを片付けるくらいの気持ちで、
 全く慈愛の心から紙屑を拾って歩かれたのであるが、
 私は形こそ同じであっても、その実はムカッ腹を立てつつ
 「どうだこれを見ないか」といった気持が動いていたため、
 どうしても江原先生にはどうしても及びつかなかったのである。」

人に使われるのは、
長いものには巻かれる精神さえあれば
簡単な事とおもいます。

でもその精神を持ち合わせる事が出来ない人もおられるでしょうから
そのような人にはとっても難しい心構えかもしれません。

一方の人を使うということは、とっても難しい事と思います。
自分はこうして欲しいと思っても相手は相手の考え方があるので
それぞれの人の考え方に従って行動するからです。

でも人を自分の思う方向に動いてもらわないと
困る場合も出てきます。

そんな時には相手の立場に立ったうえで
こちらの意図を理解してもらって
行動してもらうことが必要なのですが
なかなかそれが難しいのが現実ではないでしょうか。

posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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