邱先生はここでは年をとってくると
周りから厄介なこととはかかわらないことを、
アドバイスされるようになったと書かれています。
創業者がまだ健在な会社でさえも、
企業の活力を維持するためには年寄りには
どいてもらおうという雰囲気が微妙に醸成される。
敏感な経営者は、たとえ自分が築いた企業であっても、
「もう自分の出番はなくなったなあ」という気持ちになってしまう。
本田宗一郎さんなどは、だれに催促されたわけでもないのに、
さっさと後進に社長の椅子を明け渡し、自分は銀座にオフィスを構えて、
そこに出勤するようになった。
その頃の本田さんを私は知っているが、
まだまだ元気はつらつとしていた。それでも自ら退いたのは、
チームそのものが自分を老人扱いするようになったことを
自分自身で敏感に感じとったからに違いない。
本田さんがやめたら、パートナーであった藤沢武夫さんまで
一緒に辞めてしまったので、
引き際のよさをのちのちまで讃えられているが
これは創業者であるかどうかという問題よりも、
世間の動きに対する感度の問題と見たほうが正しいだろう。
70歳の坂は越えにくいといったが、70歳を越えてみると、
体力は知力の衰えも激しくなる。
何よりも世間の年寄り扱いが目立ってくる。
外部の人だけではなく、部下たちまで、
私の死ぬときのを数えるようになるのである。
2018年03月15日
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