2018年04月12日

老人ホームには行きたくない「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは、老人ホームの世話になりたくないとしたら、
面倒を見てくれる家族に恵まれているかどうかが
問題になる、と書かれています。

函館で特別養護老人ホームを経営している
フランス人の神父さんのインタビュー記事を読んでいたら、
 「お年寄りには気晴らしが必要なんですよ。
  生きがいという言葉は重すぎる。気晴らしでいいんです」
という発言にぶつかった。なるほど、現場の声だなと思った。

働き盛りの年齢なら、生き甲斐があるかどうかがキイ・ポイントになる。
だが、第一線から退いて仕事と関係がなくなり、
更に「字余りの人生」を老人ホームで暮らすようになったら、
一日一日が終着駅に至るまでの単調な生活になるから、
気晴らしになるようなことがあれば、
それだけで退屈さをしばし忘れることになるだろう。

歳は容赦なくとるから、そのうちに心身ともに衰えて、
自分で自分の世話もできない時が来ることも考えられる。

そうなってまで生きてはおりたくないというのがいまの心境だが、
生命力が理性の言うことをきかないとなると、
寝たっきり老人になってもまだ生きている可能性がある。

その場合、同居する家族に面倒を見てもらうか、
それとも有料老人ホームに入るか、どちらかを選ばなければならない。
老人ホームは姥捨山の現代版といってよいだろう。

そういうことにならないためには、寝たっきり老人や
呆け老人になる前にいさぎよく死んでしまうことである。
あとは家族に面倒を見てもらうほかない。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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