2018年05月06日

死ぬ権利を意識して生きる「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは、「死ぬ権利」を
はっきり表明しておきべきと、書かれています。

私に言わせると「死ぬ権利」は「生きる権利」と同じように、
尊重されるべき人権の一つである。
見事な生き方をするためには、見事な死に方が必要である。

いつ死ぬかということよりも、
それまでどう生きるかの方がずっと大切である。

力いっぱい生きて、もう生きる気力もなくなり、
生きる値打ちもないと自分でも思うようになったら、
いさぎよく死ぬことである。

その時になって、お前には「死ぬ権利」がないと言われたら、
いままで何のために生きてきたのかわからなくなってしまう。
だから、自分の生死は最後まで自分の手に
握りしめておりたいと私は思っている。

いま私たちが問題にしているのは、
もう死んでしまってもよい条件が揃ったときになっても
まだ生命を引き延ばす必要があるかどうかということである。

私自身は死ぬまで元気で働きたいと思っているが、
「字余りの人生」を送らなければならない時が来るかも知れない。

してみると、やっぱり人生という枠の中にきちんとおさまる
スケジュールを自分の判断できめるべきであって、
それをこえる部分は運を天に任せるよりほかない。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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