邱先生はここでは、「死ぬ権利」を
はっきり表明しておきべきと、書かれています。
私に言わせると「死ぬ権利」は「生きる権利」と同じように、
尊重されるべき人権の一つである。
見事な生き方をするためには、見事な死に方が必要である。
いつ死ぬかということよりも、
それまでどう生きるかの方がずっと大切である。
力いっぱい生きて、もう生きる気力もなくなり、
生きる値打ちもないと自分でも思うようになったら、
いさぎよく死ぬことである。
その時になって、お前には「死ぬ権利」がないと言われたら、
いままで何のために生きてきたのかわからなくなってしまう。
だから、自分の生死は最後まで自分の手に
握りしめておりたいと私は思っている。
いま私たちが問題にしているのは、
もう死んでしまってもよい条件が揃ったときになっても
まだ生命を引き延ばす必要があるかどうかということである。
私自身は死ぬまで元気で働きたいと思っているが、
「字余りの人生」を送らなければならない時が来るかも知れない。
してみると、やっぱり人生という枠の中にきちんとおさまる
スケジュールを自分の判断できめるべきであって、
それをこえる部分は運を天に任せるよりほかない。
2018年05月06日
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