2017年06月06日

「スピードに生きる」本田宗一郎

長い時間を掛けて本田さんの著書である
「スピードに生きる」を読んできました。

この本は本田さんが著書で自伝となっていますが
どこまでご本人が書かれて
どこからが口述かは知る由もありませんが
ご本人の考え方をまとめられたものだと思います。

本田さんというと子供のころから
世の中の常識というものにはとらわれずに
自由自在に自分の思う通りに
人生を送ってこられた方との印象があります。

その意味では私も世の中の常識とは
かけ離れたところもあるので
少しは似ているかとも思いますが
違うのは天才的な発想力と行動力でしょう。

またバイクとか車の技術というものに
哲学が必要であると説かれていて
このような考え方をする技術者は
本田さん以外には少なかったのではないかと思います。

本田さんは努力するのは会社の為ではなく
自分の為との考えも示されており
自分というものをいかに大切にされていたかがわかります。
そのことは他人を大切にするということにも
つながっているのだと思います。

本をめくると開発をされていた頃の写真とか
晩年の写真もあるのですが
会社の第一線の退かれた後は全国を
回られたのですが生々しい世界から離れて
自分の生活が中心となったからか
穏やかな表情になられているのが印象的です。

本田さんはオートバイとか車のスピードを追及して
ご自身の生活も時間を優先した
スピード第一の人生だったと思いますが
その分、人の何倍も充実した
人生だったのではないでしょうか。
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2017年06月05日

ワーゲンの乗り心地「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは
実際にワーゲンに乗ってみて
その感想を述べられています。

「対米輸出が伸びていることだって、
 親父が通勤用に車を使う、
 せがれが二人通学用に使いたい、
 女房が買い出しに使うというので、
 一軒に二台も三台も車がいる。

 いくらアメリカでも、
 全部大きな米車を使っていたのでは経済が持たない。

 そこでまあ一歩下がって
 ガソリンを喰わずに安い車を買おうという時期に、
 ワーゲンがぶつかったから売れているのだと思う。

 私は何ヵ月かワーゲンに乗ってみたが、
 一日中走るとゴンゴン後ろから
 音や振動がきて頭が痛くなるし、
 こんな車では少なくとも私は乗る気がしない。

 アメリカ人でも同じと思う。
 ビッグスリーが安くていい中型車を出せば、
 ワーゲンだっていままでみたいな調子で
 伸びるかどうかは疑問である。」

私はワーゲンを含めて
ドイツ車には乗った事がありません。

なのでビートルの乗り心地が
良いとか悪いとかの感想は言えませんが
外車に憧れるのは昔からの
と言っても戦後かも知れませんが
戦争に負けて海外文化に憧れがあったので
敗戦国の一つですがドイツ車に対する
憧れが日本人に強くあったと思います。

少しぐらい音が大きくても
振動があっても外国文化への
憧れから外車を買う人がおられるのでしょう。
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2017年06月04日

ドイツの国民性「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは
ドイツの国民性について
コメントされています。

「ドイツ国民というものは
 実質だけを尊ぶ国民である。
 その上うぬぼれが非常に強い。

 私がドイツに行ったとき、
 パーカーの万年筆を買おうとしたら、
 パーカーなんて駄目だ、
 ドイツの万年筆がいいといって強硬に主張する。

 うぬぼれがすぎて、
 ヒットラーみたいな見当はずれなのが現れる。

 そういう面を見逃して、
 デザインがいいというのは合点がいかない。

 もしワーゲンと同じぐらいの値段、性能で、
 もっとスタイルのいい車が現れたら、
 ワーゲンでも窮地に追いこめられると思う。」

ドイツ人の気質という意味では
メールでのやり取りとか
来日された方との接することが何回かあったので
少しはその気質を知る機会がありました。

ドイツの国民性としては
キチンと物事を進めることが出来ると思います。

また、技術に強くて相対性理論を考え出したり
ロケットとか戦車を考え出したりとか
世界をリードするものを持っています。

うぬぼれが強いというのは
よくわかりませんが
他国の製品より自国の製品を売り込むのは
メーカーの人間なら当たり前でしょうから
本田さんに対応した方が
どの様な立場の方だったかが気になるところです。
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2017年05月11日

フォルクスワーゲンが売れている理由「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは
フォルクスワーゲンが売れているのは
安いからだと言われています。

「フォルクスワーゲンはデザインがいいから、
 世界にあれほどたくさん売れているんだという人が多い。
 専門のデザイナーでもそういうことをいう人がいる。

 しかしこれは少し見当はずれだと思う。
 舌をペロッと出したようなワーゲンのデザインは
 どうみてもいいとは思えない。
 あれはデザインで売っているんじゃない。
 安いから売れているのだ。

 もっと正確にいえば、
 安い割にしっかりしているから人気があるのだ。
 それに世界経済状態がよくないということで
 ずいぶん助けられている。
 もう一つは国内がいいから
 あれだけの量産ができるということである。」

フォルクスワーゲンといえば
ビートルというほど大ヒットした車があります。

日本の車も今では世界的に
その性能の良さが浸透していますが
昔は欧米の車に対して遅れていました。

日本人にとって欧米の車は憧れの的であり
ドイツのフォルクスワーゲンもその一つだったと思います。

舶来の製品に対するあこがれは
今の日本でもあって、ドイツの車では
ベンツ、アウディー、フォルクスワーゲン
ポルシェなどは高級車としての地位を築いています。

また、ビートルはその形が独特で
一度見たら忘れられないという特徴があって
人気につながった可能性もあると思います。

本田さんはフォルクスワーゲンのデザインは
いいとは思えないと言われていますが
個人的には面白いデザインと思いますので
感じ方は人それぞれなので違っていてあたり前かもしれません。
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2017年05月10日

デザインはどんどん変えよ「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは
失敗してもいいからデザインは
どんどん変えるべきと言われています。

「よくうちの車は型を変えすぎると非難する人がいる。
 しかし私は、それが一つの過程であるなら、
 どんどん変えてもいいと思う。

 世界のレベルから遅れて、ただ模倣みたいな型を
 いつまでも変えないからといって
 それがいいことにはならない。

 年が変わるように、自分の会社の方針も変わるし、
 個人々々の性格も変わるし、思想そのものが変わってくる。
 その変わり方を時々刻々に反映させなければ、
 進歩がないのと同じことだと思う。

 へたに変えると前より悪くなるからというような
 考え方を私はとりたくない。
 失敗してもやはり前へ進みたい。」

確かにホンダの車はデザイン変更が多かったと思います。

それは本田さんが書かれているように
常に新しいアイデアが出てくると
それを製品に反映させるというポリシーが本田さんにあって
それが社内に浸透していたからだと思います。

時代はどんどん進歩しているので
従来と同じことをしていたら
相対評価では世の中から遅れてきていると
考えるべきとの意見もあります。

それがわかっていたためか
やはり新しいアイデアは製品に反映させるべきとの
ポリシーかホンダ車はデザインを
どんどん変えるという事実につながってきたのでしょう。

それがホンダらしさであり
若々しさとかスピード感がある会社のイメージに
つながってきた気がします。

そのホンダも規模の拡大とともに
若干元気がない気がしますが
頑張ってほしいと思うのは私だけではないと思います。
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2017年05月09日

磨き上げた美しさ「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは天性を磨き上げると
中年になって安定した魅力となる
言われています。

「「番茶も出花」というたとえがあるが、
 人間がまだ若いことだけで美しいのなら、
 ライオンの雄がたてがみが立派で勇ましかったり、
 クジャクの羽が美しかったり、
 春がきて花が咲くのと同じことになる。

 たしかに、17,8になれば肉体的に成長して、
 放っておいても一つの魅力を発散しはするが、
 人間の美しさが、ただそういった自然発生的なものだけに
 限られているとしたら、花やライオンの雄やクジャクと
 同じレベルの美しさだけに終わるとしたら、
 あまりにも淋しいことではないだろうか。
 人間として悲しいことではないだろうか。

 私は、人間の美しさというものは、
 そういった天然の美しさだけではなく、
 さらに磨きあげられた第二の天性が重なり
 にじみ出してくるところにあると思う。

 デザインの価値というものはそれと同じである。
 生まれつききれいな人は、
 たいてい自分の美しさを支える知性を磨く前に、
 自分の美しさに溺れてしまうことが多い。

 むしろ若いころはあんまり美しくない人が、
 中年になって人間らしい安定した魅力をもってくることがあるが、
 ああいった美しさはそのままマスプロに流しても
 すべての人から支持される美しさだと思う。」

若者には若いだけで発散される魅力というものがあります。
それを中年以降になってからうらやましく思うことがあります。

自分にも若い時があったのですが
その時は何とも思わなかったのですが
その時代を通り過ぎてそれを失ってはじめて
それが特別な時代であったことに気がつくわけです。

しかし、若さという魅力は年齢を重ねると
無くなってしまうので、今度は自分を磨くことで
別の魅力を出してゆく必要があるということになります。

本田さんの言葉でなるほどと思ったのが
美人に生まれた人は自分の美しさに溺れてしまうので
自分を磨くことがないという所です。

確かに美人は子供のころから
ちやほやされて大きくなりますし
成長しても多くの男性が言い寄ってくるので
自分の知性を磨く必要がないのでしょう。
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人間だれでも美人になれる「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは
人間の知性の違いが顔ににじみ出ると
言われています。

「ご婦人で、あまり顔のカタチそのものは
 よくないけれども、実に上品な感じをした人がある。

 具体的にいうならば、ペギー葉山なんか、
 あまり美人のほうではないが、実に上品である。
 ところが美空ひばりになるとこの反対である。

 美空ひばりは、これでもかこれでもかといった調子で
 アクセサリーをずいぶんたくさんつけている。
 ペギー葉山のほうはアクセサリーなんかあんまりつけていない。
 それなのにこれだけの差が出てくる。

 私はどちらにも会って話をしたことはないし、
 個人攻撃をする気もないが、
 もし私らが自動車やオートバイをデザインするときと
 同じような目で見さしてもらうとすれば、
 二人のそういった差は、やっぱり二人の
 知性の違いということにあると思う。
 それがにじみ出ているか、いないかの違いだと思う。

 とにかくこれでもわかる通り、
 人間というものは全部美人になれる素質がある。
 美人になれるかどうかは、自分のいわゆる磨き方一つに
 かかっているというわけである。私は、別に親を恨む必要はないと思う。」

本田さんは珍しく個人名を上げて
その違いについて言及されています。

この文章によると美空ひばりさんは
悪い方の例として取り上げられているので
ご本人がこれを読まれるといい気はしないと思います。

それをわかった上でか、社内報を想定しているためか
個人攻撃に近い形になっているのが
本田さんらしからぬと感じてしまいます。

それはさておいて、ここでは女性の場合でも
生まれながらの美貌だけではなく
着飾ることもしなくても知性を磨くことをすれば
おのずとそれはにじみ出てくるので
美人となると言われています。

姿かたちに自信がない人の場合は
特にこの点に心して努力することで
後天的な美人となりうるということの様ですので
頑張ってゆきましよう。
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2017年05月08日

自分の顔に責任を持つ「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは
製品には個性が必要であると
言われてます。

「ちょうど花が咲いたときに
 いろんな花を見て楽しむように、
 私はこの年になって
 だんだん楽しみがふえてきた。

 よく、人間というものは
 40になったら自分の顔に
 責任を持たなきゃいかんといわれるが、
 これはほんとうにいい言葉だ。

 スタイルというかデザインも同じである。
 うちのオートバイだって、
 うちの会社の個性というか、
 考え方が否応なしにはっきり出ているはずである。

 もし出ていなければ、
 それはどこかの模倣であると
 いわれても仕方がない。
 そういう点でデザインにも重大な責任がある。」

人間には生まれながら
美貌を持った人もおられて
女性の場合は特に美人であれば
それだけでよい人生が送れるとの
記事を見かけた記憶があります。

それほど人間の見た目は
大事ということかもしれませんが
長年の苦労を経ることで人間性が磨かれ
それが顔に出ることもあります。

その場合は生まれ持ったものではなく
人生経験が顔に出てくるので
努力の成果が現れることになります。

どちらにしても個性が必要で
製品にしても人間にしても
他と違う個性を表すことが
存在として大事ということになりそうです。
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2017年04月07日

デザインをうのみにするな「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはデザインは
応用することが大事と言われています。

「私は女の人の服装には興味があるので
 気をつけて観察しているが、
 デパートの九頭身くらいの
 マネキンが着てビッタリするような服を、
 デブちゃんが得意気に着て歩いている。
 これは滑稽だ。

 またファッション雑誌にのっている絵なんか見ると、
 ウエストがものすごく細くて
 十五頭身ぐらいに書いてあるが、
 あれは一つの理想像を表して
 あれなりにいいと思うが、
 応用する術を心得ていないと
 とんでもないことになりかねない。

 とにかく、デザインを自分なりにやろうということで
 勉強しはじめると、よそに家に遊びにいっても、
 出されるもの一つ一つを観察したり、
 汽車に乗ると、このガラス窓の格好がいいとか
 悪いとか文句をつけたり、カーテンのつり方が
 どうでこうでとなかなか楽しいものである。」

本田さんは女性の服装に興味があると書かれています。
服装というよりは中身に興味があるということなら
分からないでもないのですが
服装に興味があるとはちょっと驚きです。

男の場合は街で見かける女性の服装から
中身を想像してしまうことは
至って健全な証拠であると思いますので
本田さんの場合もそうだったのではと思ってしまいます。

服装のデザインについては
色と形が大事で、マネキンが着ている物を見て
これはいいと思っても自分が着てみて
合うかどうかは別問題です。

自分に合う色は何かを知ったうえで
実際に着てみることで
購入するかどうかを決める必要があると思います。

最近はネットで服を購入する人が
増えているかもしれませんが
私の場合は実物を見て着てみてから購入するのが
失敗しない方法ではないかと思います。
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2017年04月06日

流行を取り入れる「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはいかに流行している物でも
それを自分に合うように
することが大事と言われています。

「女の人の服装にしても、
 やれマグネットラインだとか
 Hライン、Yライン、サックドレスとか
 目まぐるしいほどいろいろあるが、

 あれは一つのシルエットであって、
 それが全部のご婦人にそのまま
 あてはまるものではない。

 流行だからといって
 あのまま着て歩いては、
 いくら派手好みの銀座でも
 いい見ものだと思う。

 いわば流行の中に流れているいいものを、
 自分の個性に合ったように直して
 着るところに妙味があり、
 それがほんとうのデザインだと思う。」

ここで本田さんが取り上げられている
ご婦人の服装がどんなものか
私にはさっぱりわかりません。

この文章を書かれた頃に
流行した服装なのでしょうが
女性の服装を本田さんがご存じだったとは
いささか驚きの事実です。

本田さんは流行をそのまま着るのではなく
自分に合ったようにアレンジすることの
大切さを説かれているのですが、
服装であれば組み合わせを工夫するなど
やれることもあるのでしょうが
車とかオートバイの場合はどうなるのでしょうか。

世の中には自分の趣味に合うように
車とかオートバイを改造される方も
おられますが私は賛成できません。

本田さんが言われるのは
流行を自社の車のデザインに
さりげなく味付けして取り込むことが必要である
ということなのかもしれません。
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2017年04月05日

デザインは実用性が前提「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは
デザインは実用性があることが
いいデザインの前提と言われています。

「デザインと実用性の関係だが、
 実用性というものを
 余すところなく満たして、
 その上のデザインがほんとうのデザインである。

 スタイルばかりがよくても
 役に立たないという非難は、
 実用性を満足させていないことに原因がある。

 オートバイならオートバイとして、
 乗りいいとか、操作が確実だとか
 そういうことがしっかりしていなければ、
 デザインを論ずる資格はない。」

世の中で言われている
良いデザインとは格好がよいことが
第一条件になっていると思います。

ところが本田さんは見た目の大事さの前に
実際の使い勝手が第一であると言われていて
その上で見た目が良いことが必要と考えられています。

言われていみるとその通りで
如何に格好がよくても
使い勝手が悪いと誰も買いたいとは思いません。

買ってしまった後にそのことに気がつくと
変なものを購入してしまったと
後悔することになりますので
使い勝手が良いかを最初に見きわめることが肝要です。
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2017年04月04日

人生はマラソン「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは
人生のペースについて言われています。

「たしかに、全然習わない人よりは
 習った人のほうが、
 その三ヵ月分だけスタートが早いわけだが、

 人生というものは長いマラソンみたいなもので、
 その三ヵ月というスタートの早さを
 ゴールまで持ち続けられるかどうかは
 保証の限りではない。

 スタートがよくても、
 あとでグングンとせりあげてくるやつもいるだろうし、
 自分のペースを崩しちまってへたばるやつもいるだろう。
 それが人生の面白さだと思う。」

学校で勉強してもその専門性を
社会で生かせるかとなれば全くの疑問で
配属されたところが
自分の専門とは縁のないことが
多くのケースであると思います。

また、うまく自分の専門性を
生かせる職場に配属となっても
その仕事が自分の性に合っているか
独創的な技術開発を行えるかとなればわかりません。

学校の勉強と会社の仕事とは別物ですので、
スタートダッシュの勢いで
定年までその仕事を続ける事が出来る人もおれば
途中でへたばって、別の仕事に回されるケースもあります。

反対に、専門とは別の仕事についても
その分野を長年やっていくうちに
その道のプロになるケースもあると思います。

どちらかというとこのケースが多いとおもいますので
自分に与えられた仕事が専門と違うと
卑下せずに取り組むことが大事ではないでしょうか。
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2017年04月03日

学校を出ても半人前「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは学校を出ても
専門家とは言えないと言われています。

「技術は人間だというのが私の持論だが、
 デザインもそれ以上に人間だと思う。

 話はちょっとそれるかもしれないが、
 私はいつもうちの若い大学出の
 技術屋やデザイナーにいっている。

 君らは、俺は機械をやったとか、
 電気をやったとか、デザインをやったとか
 ひとかどの専門家だと思っているかもしれないが、
 それじゃ聞くが大学は何年だ。

 四年だというが、正月の休みが一ヵ月、
 春休みが二ヵ月、夏休み二ヵ月を引くと
 一年は一年でも半年しか勉強していないわけだ。

 その半年も休講があったり、サボッたり、
 一般教養科目があったりで、
 ほんとうに得意というか専門科目は
 四年間にどれくらいになるというのか。

 一日七時間労働に割ってみるとおそらく
 四年間学校にかよっても三ヵ月そこいらだろう。
 それぽっち勉強して、俺は技術家だとか
 デザイナーだと得意になるのはまだはやいぞといってやった。」

本田さんの文章を読んでみると
なるほどと思ってしまいます。

その理由は具体的に数字で四年間の学生生活を
勉強している期間と休みの期間を
計算されていて、しかも四年間のうちに
最初の二年間は教養課程ときています。

そうすると私は機械工学科を出ましたといっても
専門の勉強をしている期間は
本田さんは3ヵ月と言われていますが
多くても1年程度となるので社会人になった時点では
ほんとうに駆け出しの技術者と言って良いと思います。

実際の技術者になるには
会社に入って製品を作るために
納期とか目標とされている性能、原価に収めるように
苦心をすることが必要ではないでしょうか。
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2017年03月10日

旅行を大いにすべし「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここではせまい世界で
あくせくしていてはいいデザインは作れない
と言われています。

「私は、前にも書いた通り先日奈良、
 京都を旅行して、その土地のもつ味を
 男女を問わず接してじっくり味わってきたが、
 この旅行はいろんな意味で私を刺激してくれた。

 ロバート・ウィーナーだったか、
 デザイナーは大いに旅行をしなければいけない、
 旅行も仕事の一つにすべきだといっていたが、
 これはなかなかいいことをいったものだ。

 デザインが人間を相手にしたデザインである以上、
 せまい世界であくせくしていたのでは、
 人の心をギュッとつかむような訴求力が出てくるはずがない。

 旅行をするということは、むずかしくいえば、
 自分と長年なれ合ってきた環境を一度つき放すこと、
 そして異なった環境の中に自分を置いてみることで、
 もう一度自分をとりまくものとの
 フレッシュな関係を生み出すことではないだろうか。

 これが東京を離れてもみんな東京の延長だったとしたら、
 だれも旅行に出る気がしないだろう。
 無理に旅行しても疲れだけしか残らないだろう。

 旅行の嬉しさは気分が変わることだ、
 土地人情、風俗の違ったところで、
 ほんとうの旅の味を味わえる人は、
 みんなデザイナーになれる要素をもっているということである。」

本田さんは奈良と京都を旅行して
その土地の男女を問わず接して言われていますが
ここの部分はいろんな受け取り方が出来そうです。

デザイナーは大いに旅行して、あくせくせずに
世界を拡げることが大事であると言われていますが、
デザイナーに対する印象としては
机の前に座って考えているイメージがありますが
どうもそうではないようです。

自分の生きている環境を無理矢理に変える旅行という行為は、
自分を取り巻く環境が日常から非日常に変わるので
刺激を受けることになります。

そこで感じたものをデザインに活かすことができれば
顧客である人々の心をつかむことができる
製品のデザインとなるのでしょう。
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2017年03月09日

欠点を美に高めるのがデザイン「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは人間には抜けたところが必要で
それを美に高めるのはデザインであると
言われています。

「部屋の真ん中に電灯が一つパッとついているというのは、
 実に間が抜けて見えるが、それでいてそれな入りに筋が通っている。
 これも不調和のいい見本だと思う。

 そういう点で私が感心するのは、
 おでこの大きい女の人が、
 自分の髪を前にカールしている事である。

 女の人自身ははっきり意識しているかどうか知らないが、
 オデコを隠すという目的からはじまったカールが、
 その人の個性という特徴を生み出している。

 欠点というものは調和に転化する一つの要素だということである。
 人間というものは、どこか抜けたところがないと面白くない。
 それを一つの美しさにまで高めるのがデザインだと思う。

 その点私なんか抜けたところだらけだから、
 ここのところを自分でうまく利用すれば、
 デザイナーになる資格があるとうぬぼれている。」

本田さんのここの文章を読んでも
いまいち理解できないのですが
個性をつくり出す方法についての考察なのでしょう。

オデコの広い女の人のたとえが書かれていますが
欠点を如何に補うかと考えて髪の毛をカールするという
方法をとっているがそれが個性につながっているとのことです。

車とかオートバイのデザインを考えるときでも
メカとなる部分から制限を受ける形というものがあると思うのですが
その制限を隠すためのデザインを考えることで
反対に個性的な車をつくり出せる可能性があるのでしょう。

制約を克服することを考え続けていると
いいデザイナーとなることができるのかもしれません。
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2017年03月08日

美と個性「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはバランスと個性の
塩梅具合が実に難しいと
言われています。

「デザインにバランスが大事だが、
 バランスばかり気をかけすぎると、
 個性のないひからびたデザインに
 なってしまうおそれがある。

 無難さと一つの方向をもつ力強さなり
 美しさとは相容れないわけだ。
 そのところが実にむずかしい。

 ここに一人の男が立っているとしよう。
 彼は髪にポマードをこってりつけて、
 キチンと四分六分に分けて、金縁眼鏡をかけ、
 ピカピカの靴をピッタリと揃えて立っている。

 いわゆる寸分のスキもない立派な身なりだが、
 そういう男を見て、私らはどう思うだろうか。
 人間らしくないというか、
 生きものだか置物だか区別のつかない、
 馬鹿々々しい感じに襲われるだろうと思う。

 そういうときに、ハンカチを無造作にポケットから
 のぞかせるとか、金縁をやめてロイドにすると
 グッと生きてくる。これがやはり不調和の調和
 ということではないだろうか。」

先の文章ではデザインは交響楽でないといけないと
本田さんは言われていましたが
この項目ではバランスだけに気を向けすぎると
面白みがないデザインになってしまう、
そこで個性をある程度入れる必要があり
そのことで製品が生きてくると考えられているようです。

たとえでは髪型とメガネを取り上げておられますが
キチッとした身なりで全身を統一してしまうと
隙が無くて堅苦しくなってしまうが
メガネを変化させることで隙が出来て
全体としては程よい感じに仕上がるとお考えの様です。

車のデザインというものが
どのように作られるのかわかりませんが
一人の人が全体から細部までデザインすれば
車に統一感が出てくるでしょうし
堅苦しさと隙の調整もできるでしょうが
何人かで車をデザインする場合は
そのあたりのさじ加減は難しい気がします。

この辺りはプロジェクトマネージャーが
全体調整をして商品としての
完成形に持っていかれているのでしょう。
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2017年03月07日

目で見る交響曲「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは自動車のデザインは
目で見る交響曲でなければならないと
言われています。

「たとえば、仏像のいわゆる眉から
 鼻にかける線のすばらしさ。
 あれだけの線は、私の知っている範囲では
 外国にもないようだ。

 ドリーム号のタンクにあるエッジは、
 あの線を頭に描きながらデザインした。
 そして膝あての部分は半曇りにして
 ソフトな感じを出すことに努めた。

 ベンリーのほうは、多くの人に親しみやすくするために、
 六甲山の麓の数寄屋造りの民家のような軽い感じにしてある。

 とにかく自動車のデザインは目で見る交響曲でなければいけない。
 トロンボーン一つが高い音を出しても、
 オーケストラのバランスがくずれるのと同じように、
 タイヤとかハンドルとかそれらの一つ一つを、
 全体のバランスをくずさずに処理していかなければならない。

 しかもバランスをとりながら、
 それぞれに主張していかなければならない。
 ここが肝心なところである。」

本田さんが自らオートバイのデザインを
されていたことがここの文章からわかります。

ホンダと言えばデザイン室があって
美大を卒業した方が専門的に
車とかのデザインをしているイメージでしたが
原点は本田さんご自身だったようです。

しかも仏像の線を参考にしたり
数寄屋造りをイメージしたりとか
着眼点が一般人とは違う気がします。

そのためかホンダの車は
見た目でも独創的で
個性があったように思います。

最近の車をみるとちょっとおとなしすぎる感じがします。
もう少し独創性を強めても良い気がします。
マツダのデザインとかレクサスが独自の路線を歩んでいますが
ホンダにはいまいち元気を感じません。

本田さんはデザインはバランスがいいことが
肝心と言われていますので
会社のデザインコンセプトを軸にして
それぞれの車種ごとに他とは違う
カッコいい車を作ってほしいものです。
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2017年03月06日

神社仏閣の感覚をとり入れる「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは自動車のデザインに
神社、仏閣の日本的感覚をとり入れたと
言われています。

「商品のデザインは、大衆のもっている
 模倣性を見極めながら独創性を
 少しずつ押し出すという、
 きわどいところで進められているわけである。

 これが絵だったら、独創で行けるし、
 またいくべきであろうが、
 商品だとそうはいかない。

 ゴッホの絵は死んでからはじめて
 認められたということだが、
 商品が十年も二十年も経ったあとに
 認められたんでは商売そのものが成り立たない。

 うちの車のデザインに神社、仏閣のもつ
 日本的な感覚を織り込んだということは、
 すでに多くの人が知っている事だろうが、
 私はあのデザインをやる前に奈良、京都を
 十日間くらいかけてじっくりと見て回った。

 もちろん、神社、仏閣の感覚をとり入れるといっても、
 それをそのまま再現したのでは
 アナクロニズムになってしまうが、
 近代的な目を通してふるいにかければ、
 まだまだ現代のデザインに摂取するべき点は多いと思う。」

車とかオートバイはデザインが大事であるが
それは芸術作品ではないので
独創的すぎるとユーザーは奇抜すぎて買ってくれません。

従来品と比べると少しだけ独創的であるということが
大事でそのさじ加減が難しいと考えられます。
車のデザインがいかに素晴らしくても
時代に対して進み過ぎていると
恥ずかしくて買えないと思うものなのでしょう。

しかし、そのデザインに日本の昔からある
日本の神社仏閣のセンスを取り込もうと考える
本田さんの発想はなかなか奇抜な気がします。

神社仏閣と言えば昔の職人さんが作り上げたもので
動物とか植物とか自然のものではなく
人工的なものですのでどうしても
古い感覚で作られているものと思いますが
その中から現代に使えるものを探そうとされたようです。

古いものであるが
長年の年月を経ても今なお美しいと感じられる
神社仏閣には普遍的な美があるのかもしれません。
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2017年02月03日

模倣性と紙一重の独創性が必要「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは企業のデザインには
独創性が必要であるが
それは模倣性と紙一重であることが
必要と言われています。

「しかしつくる側に立っているわれわれが
 模倣していたのでは話にならない。

 われわれはあくまでも独創性を
 追っていかなければならないことは同然だが、
 この独創性も、大衆のもっている模倣性から
 トッピもなく離れたカタチで表現しては、
 大衆は飛びついてこない。

 ほんとうに紙一重というところで、
 大衆を徐々に引っ張っていくわけである。
 ここが商業デザインの大いに苦労するところである。

 クライスラーが、エアフローといって
 カブト虫みたいな実に独創的な自動車を出したことがある。
 みんなに注目された割には売れなかった。
 
 何年か前のスチュードベーカーが、
 低床でアヴァンギャルド風なスタイルを出したが、
 これも工業デザイナーや業界から賛辞を送られながら、
 意外に売れ行きが悪く、これをきっかけに
 ナッシュと合同しなければならないほど没落してしまった。 

 今年のビュイックも、前景気ほど売れないので、
 メーカーは大衆が浮気で困ると嘆いているようだが、
 これなどもやはり大衆の考えている線から
 離れすぎたせいではないかと思う。」

トヨタがどこかの会社とコラボして
特長のある車を出したことがありました。
見た目の形とか色はとても独創的でしたので
よく目立つクルマだったのですが
そんなに売れたという記憶がありません。

私たちが欲しいと思う車は
現在走っている車は模倣性により
没個性的になっているので
それに比べて少しだけ新鮮味のあるデザインの車です。

最近は技術の進歩により
照明設備が電球からLEDになっているので
従来の電球では考えれらなかった
デザインができるようになり
車をデザインする可能性が広がってきています。

その観点で車のデザインを見てみると
やはり欧州の車のデザインは
日本より少し進んでいる気がします。

LEDを使用して新しい形の
フロントとかリヤを作り上げたのは
ベンツだったと思います。

日本車でもLEDを採用していましたが
直線的なデザインであったりして
センスの違いを感じざるを得ませんでした。
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2017年02月02日

模倣性は飯びつ「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは人間の模倣性は
工業製品を作る人にとっては
飯びつであるといわれています。

「さっき私はデザインは流行だといったが、
 流行の心理、あの人がやったから
 私もやるという心理である。

 人間には独創性と模倣性があり、
 独創性は字の通り新しい物をつくることであり、
 模倣性は流行を生むというわけである。

 そこでわれわれにとって大衆の模倣性は
 いけないかといえばそうではない。
 模倣性のおかげで、
 工場は長いあいだ同じものをつくっていられる。
 これが独創性だけを要求されたら、採算を無視して、
 しょっちゅう型を変えなければならなくなる。

 看板にしても、みんな独創性だけをフルに発揮したとしたら、
 街はとんでもなく汚いものになってしまう。
 同じ服装でも、北欧風の服装があり、
 ロシア式の服装、イタリア風の服装ありといったぐあいに、
 ある調和のとれたリズムが出てくるのである。

 だから私は人間の模倣性というものを
 馬鹿にしてはいけないと思うし、
 それを活用しなければならないと考える。
 人間の模倣性は流行を生むから、
 私らにとっては大きな飯びつである。」

ここでは人間の模倣性の良い所について
本田さんはお考えを展開されています。

ファッション業界には流行があって
今年はこれが流行で来年はこんな感じと
業界をあげて流行をつくり出している感じです。

そのおかげで自分だけが流行遅れになると
かっこ悪いので新しい洋服を買おうと
購買力の喚起につながっています。

しかしだんだんと最近は自分の個性を
大事にしてきているので
流行にそんなに左右されなくなってきている気もします。

車に関していうと、一社がカッコいい車とか
社会のニーズにマッチした形とか機能の車を
世の中に送りだすと他社も真似して
同じような車をどんどん販売します。

そうすると日本の道路を走っている車は
似たり寄ったりで特徴がない感じになっています。
模倣性はいい事かもしれませんが
没個性的になるということでは
悪い面とも言えそうです。
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