2017年02月01日

良いデザイナーの条件「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは良いデザイナーには
デザインを理解したうえで
それを具現化できる能力が必要と言われています。

「オートバイにしても、
 買ってもみた、乗ってもみた、
 そして相当のマニヤの域に達した人でなければ、
 デザインがいいとか悪いとか
 ピンと来ないところがあるのではないだろうか。

 やはりそういう人たちの夢を満たすのが
 デザインだとすれば、デザイナーも
 その条件をふまえなければ、
 頭だけではやれないということである。

 デザインでこわいことが一つある。
 それは、大衆はグッド・デザインの良さを
 かぎわけることができるという面である。
 
 どこがいい、どこが悪いと細かには指摘できないが、
 とにかく肌で感じる能力をもっている。
 ここに同じ着物を着たお嬢さんと芸者を並べて、
 どっちがどっちだと聞かれれば、
 だれだって答えることができるのと同じ理屈である。

 しかしデザイナーが、大衆と同じレベルで
 ものを見たり考えたりしていては駄目だ。
 芸者の体の線が色っぽい感じを出しているとか、
 手先が違うとか、首の動かし方、目付き、足の運び、
 帯のしめ方に特徴があるということを、具体的に指摘でき、
 それを再現できなければデザイナーの資格はない。

 要するに大衆はデザインをつくることはできないが、理解でき、
 デザイナーは良いデザインを理解した上で
 つくらなければならないということである。」

私たち大衆は車を買う場合ですが
最初に見るのはその外観と内装のデザインとなります。
車をぱっと見てカッコいいとかしゃれているとか
一瞬で判断してよし悪しを見分けます。

しかし私たち大衆がカッコいい車のデザインを
スケッチブックに書いてこんな車を作ってくれと
車メーカに提案できるものではありません。

デザインを考えて具現化するのは
メーカーのデザイナーであったり
委託を受けてデザインするプロの人々です。

それらの人々がどのようにカッコいいデザインを
生み出しているのか発想方法は分かりませんが
自然界にある物体は長年の淘汰の中から
自然と機能が高くて美しい形に収斂してきているので
それらを参考にして工業製品のデザインに取り入れて
具現化するというプロセスでしょうか。

それができるにはやはりデザイナーとしての
作るものに深くかかわる修業が必要でしょうが
もって生まれた感性とか才能の比率が高いのかもしれません。
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2017年01月31日

大衆は肌で見分ける「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは大衆の欲望を
知らないと話にならないと言われています。

「私は、もともと好奇心のあるほうだから,
 いろんなものをいじるのが好きだし、
 いろんなところへ顔を出すようにしている。

 一杯飲み屋にもよく出かける。
 それが自分の固定概念をうちこわすのには
 大いに役に立っている。

 デザインは、井の中の蛙とか、
 馬車馬式ではできない。
 商品である以上、大勢の人が対象だから、
 みんながどういう欲望を持っているかを
 見抜かなければ話にならない。

 日ごろ鎌とか鍬しか持ったことのない人を、
 いきなり銀座に連れて行って、
 これはいいデザインかどうかと聞いても、
 いい答えができるわけはない。

 やっぱり東京にいて、いつも銀座を歩いていて、
 いろんなものを買いたいと
 思っている人でないと無理である。」

毎日同じ道を通って会社に通っていると
何も考えなくなるので
通勤経路は毎日変えた方が良いとの
考えもあるようです。

家と会社と帰りにどこかで一杯やって
同じ電車に乗って帰宅することを
くり返していると刺激がなくなってしまいます。

本田さんは好奇心が旺盛で
いろんなものをさわったり
いろんなところへ出かけるのが好きと
ここでは書かれています。

私もどちらかというと、
あちこちうろうろするのが好きな方ですので
刺戟はある程度受けていると思いますが
問題はそれが仕事とか生活をするうえで
役立っているかということかもしれません。

それと車とか大衆に買っていただく製品を作るには
大衆が何を望んでいるかを知る必要があり
そのためには自分が大衆と同じ気持ちになることが大事で
大衆が出掛けるところとかに積極的に出掛けて
その気持ちになることを本田さんは言われている気がします。

会社で新製品を企画する人とか
商売をやっている方はみんなが出掛けるところへ
出向いて大衆が欲しいと思う物が
どんなものかを充分研究する必要がありそうです。
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2017年01月30日

色に男女の差はない「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは色に男女の差はない
と言われています。

「色のことでは、
 もう一つ私には忘れられない
 思い出がある。

 それは小学校3年の時の
 天長節の日だった。

 式があるというので
 母がカスリの着物の上に、
 新しい緑色の帯をしめてくれた。

 私は得意になって学校に行ったが、
 本田は女の帯をしめているといって
 さんざん冷やかされ、
 泣いて帰ったことを覚えている。

 いま思うと、色に男と女の色が
 あるというのはおかしい。

 あまり汚い色を使って
 人に不快な感じを与えない限りは、
 どんな色を使ってもいいと思う。

 そういう勇気というか決断をもたないと、
 いいデザインはできっこない。」

緑の帯が女性用であるというのは
私にはわかりませんが
本田さんが子供の頃はそんな感じだったのでしょう。

もしそうなら、本田さんのお母さんは
それを知っていながら緑の帯を
締めたということになります。

もしかしたら、本田さんのお母様にも
その時の常識的なものへ抵抗感があり
新しい感覚で緑の帯を締めたのかもしれません。

そう考えると新しい感覚を持った母親から
生まれて育てられた本田さんが
既成概念にとらわれずに新しい感覚を
持っておられたのはお母さんの影響ということになります。

これらはあくまでも想像ですが
本田さんがデザインに関心を持って
色についても赤を会社のイメージカラーに
されるなどの勇気を持たれていたことは
やはり母親の影響があったと考えるべきではないでしょうか。
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2016年09月30日

色彩について「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは人間は環境に
縛られていると言われています。

「「郷に入れば郷に従え」
 という言葉がある。
 
 これは技術はもちろん
 デザインにとっても大敵である。

 私が東京に出たとき、
 専務が真っ赤なホロ付きの
 MGを買ってくれ、
 これに乗れという。

 いままで黒い自動車しか
 運転したことはないし、
 女の人がモンペをはいていた時代だから、
 さすがの私もたじろいだ。

 黒に塗りかえるといったら、
 そのままで乗れと専務に
 命令されてしまった。

 仕方がないので乗ることにしたが、
 一週間もたったら気にならなくなり、
 赤い車であることすら
 意識しなくなった。

 そしたら今度はホロを倒してみろといわれた。
 これもはじめは猛烈に恥ずかしかったが、
 すぐに馴れてしまった。

 そして、つくづく環境というものは
 放っておくと、かんじがらめに
 人間をしばってしまうということがわかった。」

この文章でもとっても興味深い点があります。
というのも、ホンダの企業カラーというべき色彩は
赤となっているからです。

他にはヤマハは白、スズキは黄色、カワサキは緑と
なっていて、オートバイのカラーは
これらの色彩を使用されています。

その原点が専務が本田さんに
乗ることを指示された
真赤なMGという事なのかもしれません。

それと赤は本田さんが好きな色と
勝手に考えていました。

しかし、既成概念を打ち破るために
専務の藤沢さんが本田さんのために
赤い車でしかもホロ付きの車を購入されています。

そこには藤沢さんの先を読んだ戦略
というべきものを感じることができ
ホンダの成長を支えたのは
藤沢さんであったと認識を新たにさせられる
エピソードとなっています。
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2016年09月29日

自由になるために考える「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは自分は昔から
自由になるために考えて来た
と言われています。

「幸い私はむかしから解放されたい
 ということだけで動いてきた。
 人間というものは、
 自由になりたいがためにものを考え、
 働いている。

 おかみさんが皿洗いや洗濯がいやだから、
 皿洗い機や洗濯機を欲しがるということと、
 私がほかの人から見ればわがままに見えるほど、
 自分の個性のままに動いてきたこととは一致点がある。

 だから私の個性をうまく利用すれば、
 デザイナーの資格ありと見たわけである。
 時代をよく見ること、
 あらゆる面において大衆の中に入ること、
 そこではじめてデザインが生まれる
 ということになれば、
 それは私がいままでやってきたことだし、
 やれるはずだという理論である。
 
 そのためには、
 ものを固定して考えてはいけない。
 環境に支配されるだけでなく、
 逆に環境を支配するくらいの
 気がなければならない。
 そこでみんなの気持ちがわかり知恵が進む。」

ここでは本田さんの創作の原点ともいうべき
考え方が披露されていて
とっても興味深くなっています。

産業の原点は今までになかった便利な商品、
つまり人間がやっている仕事を
機械が代わりにやってくれるとなれば
自分が労働から解放され自由時間が増えるので
お金を出しても買おうという気になります。

他の理由としては
効率が上がるというのではないのですが
楽しみが増えるという場合にも
お金を出そうと考えます。

本田さんはその時代に
大衆の人々が何を欲しているかを考えて
それを製品化する事がデザインであると考えられています。

そのためには物事を固定概念で見るのではなく
新しい概念を自分が作り出すくらいの
気概をもって開発にあたる必要があると
知恵が出てくると思われたようです。
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2016年09月28日

デザインは芸術とは違う「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはデザインは芸術ではないので
自分でもやれると思ったと言われています。

「たとえの話だが、私の小僧時代は
 ちょうどカフェー華やかなりしころで、
 よく白いエプロン姿の女給にいる
 銀座のカフェーに出掛けたものだが、
 当時ご婦人のあいだで耳かくしが流行った。

 ちょっと洒落っ気のある人は
 みな耳かくしをして得意になって歩いていた。

 しかしもしあれが芸術だとしたら、
 いまでも耳かくしをして
 銀座を歩いてもいいことになる。

 ところがそんなことをしたら
 いい見ものになってします。

 あのころは、耳かくしが最高のデザインだったが、
 いまはそうではないというところに
 デザインの本質がある。

 芸術とは、ピカソにしてもマチスにしても、
 もっと古いミケランジェロにしても
 長い風雪に耐えるだけの
 一定の価値をもっているものをいう。

 つまり何時、だれが見てもいいというものだと思う。
 ところがデザインは十年たっておかしなものでも、
 その時代の人たちの気持ちをつかみ
 リードすればいいわけだ。

 やや極端になったが、
 これなら私にもやれるなと思った。」

車の新車を見てみると
今までにない斬新な形の車が出ると
カッコいいと思います。

丸型が角型になれば以前の型は
古く感じます。
その次に丸型になると角型は
古い形の車に見えるものです。

服の場合のデザインは繰り返すと言われます。
車にもある程度は当てはまりますが
服のように昔の型に戻ることはありません。

以前に比べてちょっとだけ
イメージを変える事が大事で
大幅に変えてしまうと
反対に違和感になってしまう危険性も含んでいます。

デザイナーの方のさじ加減によるところ大きくて
この辺りが時代に受けるデザインか
そうでないかの分かれ目と思いますが
一言でいうとセンスということでしょうか。
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2016年09月27日

デザインは流行である「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはデザインというものは
いまよければいい流行であると言われています。

「私は正規の学校も出ていない
 一個のエンジニアであって、
 デザイナーでも何でもないが
 デザインには大いに関心をもっている。

 なぜかというと、
 輸出ということである。
 輸出をねらう以上、
 本田のマークはイコール日本のマークだから、
 人のコピーとか外国車のスケッチでは輸出できない。

 もう一つはわが社の連中に
 誇りをもって仕事をしてもらうためにも、
 独特の型を打ち出さなければならない
 ということである。

 私は小さいときから絵は好きだったし、
 手先もまあ器用なほうだし、
 考えることも好きだし、
 なんとか自分でデザインできないものかと
 前から考えていた。

 しかし私には芸術的素養というか
 系統だったものがない。
 しかしデザインというものを
 よく分析してみると、
 芸術家でなくてもデザインはできる
 という結論に達した。

 なぜかといえば、デザインは一つの流行である。
 流行のいちばんのねらいは、
 過去も悪くていい、未来も悪くていい、
 いまよければいいのが流行である。」

本田さんがデザインに大変興味を
持たれていたということは
いろんな本を読んでいると分かります。

ホンダの研究所にはデザイン室を
作っておられましたし
軽自動車のN360を作った時も
バンパーの取り付けで意見を言われています。

また、オートバイのデザインをするにあたって
仏像を見に出掛けたという話も
本の中で紹介されています。

車の良しあしについて本田さんは
車の性能でこれはいい車という人は少なく
外見を見て多くの人は判断するようなことも
言われていたと思いますので
本田さんにとって製品を作るにあたって
デザインはとっても重要な要素だったのでしょう。
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2016年09月26日

気をつけてもらいたいこと「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは権威がある者は
その行動に気を配る必要があると言われています。

「権威者で思い出したが、数年前工大の先生が
 学生をつれて、欧州を回ったことがある。
 このスクーターがサイドバルブのスクーターであった。

 ところがリットル当たり30馬力くらいしか
 出ないスクーターなんて日本にしかない。
 そんなスクーターをシロウトならとにかく、
 工大の先生が乗っていったということに異議がある。

 日本にいれば、サイドバルブだろうがなんだろうが、
 どこそこの製品だと色わけして見ているからいいが、
 外国に行けば日本の代表になる。

 人もあろうに最も権威のある工大の先生が、
 時代遅れのスクーターで得意になって回られたのでは
 日本の水準そのものを疑われる。
 せっかくこれから輸出しようと張り切っているところへ、
 水をぶっかけられたようなものだ。

 どういうことをしたって自分の勝手だと言われれば仕方がないが、
 権威者ともなれば一人ではすまない。
 自分の行為は他人にも影響するところ大なのだから、
 そこのところは大いに気をつけてくれなければ困る。

 おかげでわが社も直接に影響を受けた。
 カタログを欧州に送ったまではいいが、
 「本田技研という日本のメーカーがこんなカタログをよこした。
  しかしこれは信用できない。
  日本はオートバイやスクーターが盛んだというが、
  一世紀も遅れているスクーターなんかつくっているのでは
  たいしたことがない」といわれた。

 うちの車はそうじゃないといったって、
 それを理解してもらうのにはたいへんな時間がかかる。
 権威者もメーカーも今後はこんなことがないように
 細かく神経を使ってほしい。」

この文章を読んでまず驚くのが
大学の先生が学生をつれて欧州を回った時に
日本のスクーターで回ったという所です。

何人で回ったのかはこの文章には書かれていませんが
あの広い欧州をスクーターで回るという発想に驚かされます。

その理由は旅費を押さえるために
スクーターを欧州に持ち込んで
先生と学生の一団が欧州の中を移動したのだとすると
やはり目立つ行動だったと思います。

しかもそのスクーターが一昔前の車だったとすると
だれしも日本に対しての偏見を持ってしまうと思います。
現在でいうと古い東欧の車の一団が
先進国の街中を走るようなもので
その国の技術を悪い意味で広める行為になるからです。

権威者1人であれば目立たなかったのでしょうが
集団行動だったので逆の宣伝になっています。
先生は公人としての自覚が必要ということでしょうか。
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2016年09月09日

本当の権威者「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは本当の権威者は
工場の作業員であると言われています。

「オートバイ雑誌がふえて、
 オートバイの評論家がぞろぞろ出て来た。
 しかし日本ではオートバイの権威者なんて
 そうザラにあるものではない。

 ほんとうの権威者は工場で黙って
 こつこつオートバイをつくっている人である。
 これは真剣勝負だから、おのずから研究も深くなる。

 古い時代に習った理論をいつまでも
 宝のようにもっていて、
 古い物差しでやたら人のやることを
 批判されたのではたまらない。

 権威者はシロウトを馬鹿にするが、
 シロウトも時間をかければわかるようになる。

 画家は悪い絵をすぐ見分けるが、
 私などはそうはいかない。
 しかし悪い絵は長く見ていれば飽きがくる。
 車でも同じだ。しかも自分の金で買って
 乗っているから厳しさはひとしおである。

 時代と共に進歩しない権威者は、
 やがて大衆をひきずる神通力を失い、
 自分だけの権威者になってしまう。」

この文書を書かれた時代は
オートバイがたくさん売れたときだったのでしょう。

今もオートバイの雑誌はありますが
私が若いときには「オートバイ」とか
「モーターサイクリスト」といった
バイクの専門誌がありました。

雑誌が出来るということは
オートバイについてあれこれと
記事を書く人がおられるわけで
その方たちは本田さんのいわれる
ぞろぞろ出て来た権威者ということなのでしょう。

しかしオートバイの事をいちばんよく知っているのは
オートバイを設計している技術者とか
工場で実際につくている人々で
権威者とはそのような人なのでしょう。

しかしホンダの技術者とか工場の人が
雑誌に自社の製品の事を書くとなると
自社の製品をひいきにしてしまうので
どこの会社にも属さない人がメーカの性能差の
比較をして記事を書くということになってしまいます。

その意味では本田さんの言われるように
ほんとうの権威者ではないのですが
止むを得ないと考える必要がありそうです。
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2016年09月08日

お金をもらうのは当たり前「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは製品を売って
お金をもらうのは当たり前といわれています。

「わが社が金の吸い上げが激しいことは
 自他ともに認める。
 飲み屋の壁に「貸して不仲になるよりも、
 ニコニコ笑っていつも現金」と
 いうような言葉がはってある。

 品物を渡してお金を受け取るのは当然の話で、
 当然のことをやって恨まれる理由はない。
 
 「金はあとで結構です」
 なんていわなければならないような
 品物なら無理もないが、
 そうでないならキチンと金はもらうべきである。

 その金でお客に気に入るような車の研究ができ、
 よそから真似られるような製品を
 出しているというプライドが生まれ、
 ディーラーも張り切って仕事ができるというわけである。

 払うほうからいえば、金というものは
 とられるときにキチンと取られたほうがいい。
 どんぶり勘定では計画がたてられないし、
 気がついたときには手許に何もなかった
 ということになりかねない。

 だいたい日本の企業というものには
 浪花節的要素が多すぎる。
 森の石松では経営はできない。
 掘って掘ってまた掘ってという
 炭坑節道路と浪花節企業と、
 この二つはなんとよく似ていることだろう。」

本田さんからお金の話が出るとは
ちょっとびっくりする面も無くはないのですが
ホンダの三つの喜びの一つに売って喜ぶがあります。

本田さんは売って金をもらって
そのお金で新しい製品の開発に取り組むことができるので
その意味で大切なことと思われていた様です。

それとドンブリ勘定では駄目と言われています。
どちらかというとお金の算用は
相棒であった藤沢さんに任されていたと思っていたので
どんぶり勘定では駄目とのコメントはちょっと驚きです。
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2016年09月07日

責任を持て「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは記者は自分の書いた記事に
責任を持てと言われています。

「前に本田の株なんか
 百円で売れたらいいようなものだ、
 と書いた雑誌があって、
 あわてて売っていまになって大損したと
 恨んだ人がいるそうだが、
 書いた本人は責任をとらなくいいんだから楽なもんだ。

 そういう連中に限って、
 最近の本田は大したものだと
 口をぬぐってほめている。

 恥も外聞もない。主張する以上は、
 見通しと信念をもってやってほしい。
 無責任な切り捨て御免はご免こうむる。

 過日、ある自転車関係の新聞が、
 本田技研はメーカーだけ儲けて、
 下請けやディーラーは
 塗炭苦しみをなめていると書きたてた。

 どういう理由で書いたのか
 理解に苦しんでいる。」

テレビとか新聞雑誌の記者は
報道の自由がありその意味好き勝手に
書くことができるのでしょう。

だたし、報道に間違いがあった場合は
最近は責任問題になっています。

しかし、どちらかというと
報道に対しては責任を問われないのが
今までだったのではないでしょうか。

同じようなケースとして
冤罪で長い間刑務所に入っていた人が
無罪が証明されて出てくる場合があります。

長い人生を大部分を刑務所に入れられたわけですので
間違いを犯した人は罪に問われる必要がありますが
そのような人が刑務所に入ったと聞いたことはありません。

人に迷惑をかけた場合は
責任を取るのが当たり前と思いますが
現実はちょっとずれている気がしますが
いかがでしょうか。
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2016年09月06日

ジャーナリストの盲点「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはジャーナリストは
自分の主観で物事を判断するので
困ると言われています。

「どうも日本のジャーナリストは
 科学なり機械に弱いように思える。

 人工衛星が上がったり、月にロケットが飛ぶと、
 科学振興などと派手に太鼓を叩くがすぐに忘れてしまう。
 当座だけ科学者の話を聞いて歩くがあとが続かない。

 ジャーナリストは文科系の大学を出た人が多いそうだから、
 機械に弱いのは無理もないが、自分が弱いからといって、
 機械を白眼視したり、排他的になっては困る。
 無理して専門家になる必要もないが、
 理解するくらいの努力をしてもらいたい。

 ジャーナリストに「頭打ちだ」といわれながら
 テレビは毎年伸びているし、斜陽産業だと決めつけられた
 コウモリ傘が折りたためる携帯用にしたら
 ここ数年来ブームを続けている。

 経営の一つをとってみても見方によっては
 トンでもない間違いを起こす。
 新聞記者は私の話したことをそのまま読者に伝え、
 読者の判断に任せるのが常道だと思うが、
 自分が判断し、自分で点数をつけて書くのだからたまらない。
 これではニュースではなくて社説になってしまう。」

テレビとか新聞のニュースを取材する記者の方は
本田さんが言われるように文科系の方が多いようです。
そのために技術の事をわからないで記事にするので
本田さんの様な方にとっては困りものとなるのでしょう。

また日本人の気質なのか
熱しやすく冷めやすいのが
ニュースの現場となっています。

一度問題が発生すると
そのニュースでもちきりとなるのですが
しばらくすると全くと言ってよいほど
その話題が出てこなくなります。

出来れば問題が発生したら
途中経過と結末を報道してくれると
日本国民のためになる気がします。

もう一つはニュースで叩かれた人が
よく言うのが自分の発言が正確に伝わっていないということです。

ここの文章でも本田さんは自分の話したことを
そのまま伝えて読者に判断してもらいたいと仰っているので
歪んで伝わった記憶があるのではないかと思います。
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2016年09月05日

邪恋と芸術「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはジャーナリストに
一番苦労したと言われています。

「ところが、汝ら搾取者、支配者よということで
 ポンと片づけられる。
 そしていつまでたっても文化人になれない。
 これはどうみても不公平である。

 文化人というタイトルは、人類に対する貢献度でなるならわかるが、
 どうもそうでないところに問題がある。

 恋愛に関してもそういうことがいえる。
 私が女房もちで恋愛をすれば邪恋だといわれる。
 ところが松井須磨子が恋愛すれば芸術になる。

 同じ人間であるのに、山田五十鈴なら芸のために恋したとなる。
 そして私が死ねば邪恋の精算ということになり、
 彼女らが死ねば二人の恋は清かったとなるんだからおかしい。
 人間は平等といわれながら、これだけ色眼鏡で見るんだからたまらない。

 文化人の中で最も困るのが、ジャーナリストに多い。
 例の切り捨て御免族である。
 昭和二十八年、九年、わが社の経営が苦しかったときに、
 あらゆる経済雑誌からしつように叩かれた。
 おかげでわが社の信用はずいぶん落ちた。

 「あんたがいちばん苦労したのはなんだ」ときかれたので、
 「金でもなければ仕事でもない。苦労したのはジャーナリストだ」
 とこたえたことを記憶している。」

ここの文章では本田さんは二つのことを言われています。
一つは実業界にいる自分は社会にどんなに貢献しても
色眼鏡で見られ文化人の仲間入りができない。

それに対して女優の皆様方は
恋愛しても良い方向に受け止められてしまうので
不平等と言われています。

本田さんの恋愛事情はよく分かりませんが
奥様が有られても結構盛んだった気もしますので
自分は邪恋とよばれ女優は芸の肥やしとなるのには
納得できなかったのかもしれません。

二つ目はジャーナリストの筆による暴力です。
報道の自由というのがあるのでしょうが
報道によって不利益を被る人がいるとなると
その人にとっては暴力になると思います。

記者の皆様は視聴率とか販売部数が伸びるのは
自分の成績につながるのでしょうが
記事が人々にどのように影響するかは
充分注意して公平な報道に務める必要がありそうです。
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2016年08月12日

経営は社会事業「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは経営をするということは
社会事業であると言われています。

「官報というものがある。
 法治国である限り、
 国民はすべて官報を読む義務がある。

 ところが官報を読む人は実に少ない。
 それを読まなくても生活できるからである。
 しかし新聞、映画、テレビも見ないでいるわけにはいかない。

 世の中から遅れて敗残者になってしまうかれである。
 現代の文明とはそういうものである。

 しかも新しい製品がどんどん発明され、
 それだけ金のいることが多くなる。
 それに比例して給料が上がるかといえば、
 そうはいかない。

 結局製品のコストダウンをやって、
 世の中の人の給料を全部上げたのと
 同じことをやらなければならない。

 工場の経営者はそれを義務付けられている。
 これが社会事業でないというのはおかしい。」

私も官報というものの存在は知っていますが
実際に読んだことはありません。

そもそも官報ってなに?
と思ってしまいますので
調べてみると、国の機関紙となっています。

官報は各都道府県の県庁所在地にある
官報販売所で販売されるそうですが
さてそれはどこにあるのかというと
またまた調べる必要があります。

兵庫県の場合は神戸にあるようで
しかも株式会社兵庫官報販売所となっていて
民間の会社なのでまたまた驚きです。

政府が国民に知らしめたいことがあるのであれば
国民が必ず読むように、もっと有効な手段で
お知らせるべきと思うのですが
そんな内容ではないのでしょうか。

現代の生活では官報は読まなくても問題ないが
新しい製品とかは購入しないと
どんどんと世の中から遅れてしまいます。

本田さんにすれば、給料はそれに合わせて上がらないので
企業の経営者は給料が上がるスピード以下になるように
製品のコストを下げる努力が必要ということなのでしょう。
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2016年08月11日

文化人論「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは自分も文化人であると
思いたいと言われています。

「日本ではちょっと歌がうまかったり、
 踊りが上手だったり、
 筆がたつとすぐ文化人だと
 みんなから奉られる。

 しかし文化人としていちばん大切なものは、
 人間性があること、
 思想がしっかりしていることだと思う。
 それが欠けていては、たとえ絵がうまくても、
 評論で飯が食えても文化人ではないはずだ。
 それは職人にすぎないと思う。

 ひがむわけではないが、
 事業をいくら熱心にやっても、
 われわれを文化人だとだれも認めてくれない。

 これだけ便利なものをつくって、
 代理店や下請けから従業員まで、
 たくさんの人を一つのアイデアで食べさせ、
 大いに社会に貢献しているつもりなのに
 文化人にはいれてくれない。
 これはどういうわけだろうか。

 過去において経営者といえば、
 多くの人をこき使って
 自分だけ儲けているような人が多かったし、
 資本を集めてそれをふやし、
 資本家に還元する人種であったが、
 いまはそうではない。

 少なくとも私は社会事業の一端をになっているという気でいる。
 その意味で、私は文化人であり、
 わが社の従業員もすべて文化人だと思いたい。」

本田さんの文化人という人種に対する考え方が
ここでは述べられているのですが
何かが上手である事が条件となっています。
そしてその上で人間性が大切と言われています。

その論理で自分たちも
車づくりに秀でていて
人間性の観点からも問題ないので
文化人であるとの認識を示されています。

しかし一般的に文化人という言葉の持つ意味は
やはり芸術とか芸能および文筆の分野で
個人わざで勝負しているような
人種の方に適用されていると思います。

本田さんの様に産業界に身を置かれていいる人は
利益を上げる事を一つの目標として活動されていて
文化という言葉とはどうしても
別の世界ととらえてしまうのではないでしょうか。
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2016年08月10日

儲けたお金は使う「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは儲けたお金は
道楽をして使ってしまったと言われています。

「現在わが社は月五十五億円の売り上げであるが、
 近い将来には百億円、年間一千億円を目標としている。
 十年で倍増なんてことは考えてもみない。

 過日、組合との交渉で、定年でやめるときの
 退職金が問題になったことがある。

 わが社の平均年齢はどれくらいだといったら、
 二十四歳何カ月、私がいちばん古い。
 そんなもの放っておけ、
 一億円欲しいといったら一億円と書いておけ、
 私が払うんじゃないからいいだろう。
 よこせといったやつに払うんだからかまわん。
 それでおしまいにしてしまった。

 二十四歳のやつが退職金を相談するなんて、気が長すぎる。
 ずいぶんもらったつもりでも一億円とは言わない。
 一千万円くれというくらいがせいぜいだろう。
 二十五年たって、一千万円もらってどうなるか、
 どうにもならないだろう。

 私は過去をふり返ってみて、一つも悔いないと思うのは、
 私は儲かったときはみんな使ってしまったということである。
 使わないでこつこつ貯蓄しておいたら、
 ほんとうにただになってしまった。
 私はいままでいろんな道楽をして使った。
 はっきりわかることはそれが自分の儲けで、
 盗まれもしないし、何よりも貯蓄だと喜んでいる。」

出だしの退職金の話の中で
自分が払うのではないからのくだりは
ちょっと乱暴な気がしますが
若い従業員が遠い先の退職金の話をするのは
どうかと思うのは誰しも納得ではないでしょうか。

この時のホンダの平均年齢が二十四歳と言うのも
ちょっと驚きの若さと感じます。
こんなに若ければ独創的な製品を
次々と生み出したのも納得です。

もう一点気になったのは
儲けたお金は道楽に使ってしまったと言うところです。
一生懸命貯めたお金が価値がなくなったようで
使った自分はその分儲けたと言われております。

今心配している日本のデフォルトを考えると
使ってしまうのも一つの考え方でしょうし
邱先生のお金は使って一人前にも通じると思います。

邱先生のハイQで昔の記事を再掲示されていますが
その中で近代の日本で代表する日本人を一人挙げるとすると
本田宗一郎さんと書かれています。

先生と本田さんは20歳ほど年の差があったと思いますが
生前に交流もあったようで、本田さんの考え方とか
実行されたことを評価されていたのだと思います。

ともあれ儲けたお金は元気なうちに
使って悔いのないようにしておきたいと思います。
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2016年08月09日

合理性を尊重する「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは働きがいのある職場を作る事が
能率の基本であると言われています。

「面白いことに給料の低い国ほどはだしで歩いている。
 そして給料の高い国ほど生産性が高く、物が安くできている。

 たとえていえば、米国人は日本人の十倍の給料をもらっていながら、
 日本の自動車と米国の自動車と同じ値段で売れている。
 すると給料なんてものは、ある業種は別だが、
 自動車産業ではそんなにひびかないもので、
 それよりアイデアのほうが大きなウエイトを占めている。

 わが社の賃金は現在すでに西独並みだが、
 それが倍になる日はそう遠くはあるまい。
 しかし、サラリーマンというものは、
 倍にしてもらうという考えより、
 倍になるよう自分で努力すべきだと思う。

 もっと権利と義務で割り切るべきだと思う。
 社員がナニワブシ的に、会社のために働きにきているようでは駄目だ。
 自分の生活をエンジョイするために働きにこなくては駄目だ。

 そのためには、社長としては理屈で働かせるのはムリで、
 社長がゴルフをやって優越感を感じているようでは
 社員はマジメに働かない。

 また私は、生産性本部にも、日経連や経団連にも入っていない。
 私の主旨は働きがいのある職場をつくるのがいわゆる能率の根本であるし、
 経営者の義務だと信じている。

 自分が搾取をして社用族になって遊び歩き、
 不合理なムダをして、社員に疑問を抱かせて、
 だれが働くか。能率の根本は合理性にある。
 その合理性に立って経営はこんなもんだとなってこそ、
 満足なものができるのである。」

本田さんの言われている経営者としての義務が
働き甲斐のある職場をつくるのが能率の基本である
という考え方が、言われると当たり前ですが
とっても新鮮な思想と感じられます。

私たちはいろんな目的で会社で働いているのですが
その仕事を通して自分の生き甲斐が達成できるなら
寝食を忘れて仕事に取り組むと思います。

仕事をとおして生き甲斐を感じることができないと
いやいや給料をもらうために朝から夕方までの
時間を会社で過ごして時計を見ながら
退社時間が来るのを待つことになります。

そうなると仕事の成果もおのずと
低いものになりますので
会社としても成長しません。

でも、生き甲斐を感じることができれば
会社の経営上もとってもいいこととなるので
従業員が働き甲斐を感じる仕事を与える事も
大事な事ではないかと感じます。
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2016年08月08日

アイデアで賃金倍増「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはアイデアを出す企業が
実質賃金を増やしていると言われています。

「もちろん、インフレにでもなれば二倍になるのは
 あたりまえのことだが、これを実質的にという意味にとっても、
 二倍にならなければ大変だ。ただ、政府がやるからよけいぐわいが悪い。
 またそれはできないという社会党においては論外である。

 これまで、そういった倍増をだれが達成したかというと、
 私にいわせれば、それは政府がやったのではなく、
 メーカーがやっている。

 それはメーカーたちの行ってきた技術革新によって達成され、
 生活は非常に高度のものになってきた。
 新しい電気洗濯機だとか、新しい電気掃除機などによって
 文化生活を営めるようになった。

 つまり、メーカーのアイデアによって、より安いものをつくり、
 実質賃金をふやしたからにほかならない。
 だいたい経済の根本は何かといえば、これはアイデアである。

 新しいトランジスターとか、新しい生産方式などが生まれ、
 今までの商品の値段が安くなっていく。
 風呂賃だとか床屋の料金は高くなっていく。
 これはアイデアを出して改造できないものであるからである。

 ところが、アイデアをふるってやる企業の商品は高くならない。
 というのは、人間というものはいつでも進歩している動物だということである。

 こう考えてくると、私は実施倍増なんてものは問題ではない。
 そんなものは五倍にも十倍にもなると思う。
 アイデアこそ賃金を倍増するものだと信じている。」

本田さんの論理で考えると
メーカーが同じ機能の製品をアイデアを出すことで
今までより安く供給する事ができている。

そのおかげで自分の給料が上がる事とは別に
必要な商品を購入する金額が下がるので
実質的には所得が上がっているとの考えの様です。

この考え方は全くその通りで
技術者とか工場での技能者が創意工夫することで
良い良い製品を安く供給する事が出来てきています。

また、その製品を使うことで
自分の時間を削減する事も出来るので
余ってきた時間で文化的な生活も
営めるようになってきているので
アイデアを出すことこそが
賃金を倍増させることができる
手段と考えられます。
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2016年07月29日

所得倍増について「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは十年で所得倍増は
あたりまえだと言われています。

「過日、池田首相の所得倍増論をどう思うかと聞かれたから、
 「私にはわからん。私は技術屋でそういうことは最も不得手だ、
  いちばん弱いこと菊じゃないか、だれかほかの者に聞け」といった。

 ところが敵もさる者、「全然わからん人に聞きたいから、
 わからない者の代表でいえ」という。

 ほかの経営者はみな経済のことを知っているけれども、
 私はたしかにわからん代表だ。

 そこでこういった。
 「実は新聞は見たには見た。所得倍増という記事は見たが、
  あまり気にとめはしなかった。倍増々々というけれど、
  一年で倍になるのか、一年で倍増になるのなら、
  わが社は欠損になるがどうなんだ」と聞いた。

 そしたら十年だという。これには驚いた。
 十年で所得が倍になるなら、あたりまえすぎて話にならない。
 政府が本気でやる気なら、五年計画ぐらいでやるべきだと思う。

 ほかのことは知らないけれど、私自身の問題でいうと、
 私が生まれてものごころついたとき、五厘銭で飴玉が二つ買えた。
 所得倍増の理屈を私の人生に当てはめてくると、
 十歳になって一銭、二十歳で二銭、三十歳で四銭、
 今五十だからちょうど十六銭である。

 十六銭でうちの子供が我慢するかといえば、しないだろう。
 そうなると所得倍増論はおかしいじゃないか、
 こんなものでできるとかできないとかいって、
 政府がさわいでいるけれども、放っておいたってなる。」

本田さんは自分の得意な分野に帆をあげることを
やってこられて、不得意なことは得意な人に任せることで
会社を経営されてきました。

なので所得倍増について意見を聞かれたときに
最初は断られたのだと思います。
しかしうまく乗せられて仕方なくお答えになられていますが
その回答の論理が素晴らしいと感じます。

本田さんはご自分の経験と倍増論から
導き出すことができる金額を例に出されて
意味がない議論とかたずけられていて
十年で所得倍増は高度成長期では
当たり前のことだったのでしょう。

本田さんの計算で気になるのが
預金封鎖と新円への切り替えが
途中で入っている気がすることです。

この円の切り替えはどのような
率だったのかは分かりませんが
本田さんが生まれたときのお金の価値と
インタビューを受けられた時では
ぜんぜん違ったのではと思います。
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2016年07月28日

技術者も人間関係「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは技術者も
これからは人間関係がたいせつと言われています。

「職人と技術者の違いは、
 学歴の有無ではない。
 一度経験して得た知恵を、
 くりかえして使うのは職人であり、
 
 得た知恵にさらに新しい知恵をつけ加えて
 使うのが技術者なのである。

 学校の勉強ではカンニングはご法度だが、
 事業のカンニングは合法的なやり方ならば、
 それは勝手である。

 むしろ進んで人に会い、
 人の知恵をもらってこなければ
 競争に負けてしまうのである。
 
 技術者だから技術だけ磨けばよい
 という時代はもう去った。

 技術者だろうが科学者だろうが、
 それはもう特権階級ではない。
 一般と変わらぬ人間関係の
 まっただなかにあるのだという自覚をもつことが
 いちばん大切なことなのである。」

本田さんの職人と技術者の違いについて
書かれている部分は面白い
とらえ方と思います。

技術者であれば
従来の技術に新しい技術を
追加する事が求められ
それが使命となると思います。

職人はそうではなくて
技術者が作った技術を身につけて
それを使って実際の製品をつくり出す
事が求められます。

職人だから新しいことを
考えないかと言うとちょっと違い
新しい技術を自分のものにして
現物をつくり出すことができる
能力を持っている事が大事で
技術者は現物は作らないが
新しい技術をつくり出すという役割が違うのだと思います。

それはさておき、本田さんは
技術者は一人で考えずに
積極的に人の知恵をもらいに出掛けることが
良い商品につながると言われていて
コミュニケーションが大切と言われている
昨今の考えの元となる思想の気がします。
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