2016年07月27日

人間関係の大切さ「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは技術者も広く人と会って
人の知恵を分けてもらうことが必要と言われています。

「ただし、いままでの技術者が犯してきたあやまちは、
 一刻も早く改めなければなるまい。
 その過ちというのは、従来日本の科学や工業が主として
 軍部や官庁の統括下に発展してきたため、
 彼らのつくり出すものは製品であっても商品ではなかったことである。

 すなわち大衆に押しつけることはできるが、
 大衆に買ってもらうことのできるものを
 つくらなかったことである。

 したがって彼らは世間知らずに育ち、
 人との協調も交流もしなかった。
 自分の世界に閉じこもり、命ぜられたことをやっておればよかった。
 もっとも、それでことが足りたからである。

 しかしこれからはそうはいかない。
 今日の科学は総合科学であるから、
 あらゆる分野との交流をはからなければならぬ。
 すぐれた技術に加えて広いつきあいが必要である。

 一人の知恵はタカが知れている。
 秘伝の技術では商品はつくれない。
 自分の知恵を与えるかわりに、人の知恵をもらう。
 それではじめてよい商品が生まれるのである。」

本田さんというと人まねはしないことで有名で
自分で考えて物事を進める方との認識がありますが
ここの文章ではちょっとニュアンスが違います。

ひとりの知恵は知れているので
たくさんの人の知恵を集めることで
よい商品が生まれるというのは仰る通りです。

そのためにはいろんな人と交流して
知恵を与えたり貰ったりする必要があります。
本田さんがピストンリングの製作で
行き詰った時にいろんなところに
教えを請いに出掛けられたと読んだことがあります。

よい商品を作るためには
大学の先生に聞きに行ったりして
人の知恵を借りることをされていますが
それが出来る人間性が必要ということなのでしょう。
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2016年07月26日

未開拓分野はまだまだある「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは未知の部分はまだまだあって
やりがいがあると言われています。

「私は数年前ドイツへ技術視察に行ったことがあるが、
 ビールの都として知られたミュンヘンを訪れたとき、
 そこの科学博物館を見学した。博物館は壮大なもので、
 ドイツ科学の粋が収めれられていたが、
 私はその入り口で大きな統計図が掛けてあるのに目をとめた。

 それは直径3メートルもの円であるから、
 その円周は9.42メートルはあるわけだが、
 その中のわずか5センチメートル程度の部分に
 色がぬられて、それに次のような説明が加えられていた。

 「この大きな円は宇宙に残された未知の分野である。
  そして、われわれは二十世紀の今日に至るまでに、
  そのなかのこの部分を発見した。」

 私はこれを見るなりカックンと一本やられたような気持がした。
 そのなかには私のやってきた仕事の数々も含まれているのに違いないのに、
 それを絵にしてみれば線にも点にもならぬわずかなものにすぎないのかと。

 しかし、やがて気を取り直して考えた。
 「俺はもう昔の人がみんな考え尽してしまったと思っていたが、
  まだこれだけだというなら、これからまだいくらでも考える余地はある。
  やり甲斐があるというものじゃないか」と。

 実際、科学や技術の分野では、まだいくらでも働き、
 ものにし、つくり出すことはできる。
 それはおそらく甲斐があるというならば、
 事務や営業やその他の仕事よりもはるかに
 働き甲斐があるし、また実生活の上でも
 はるかに有利であるともいえよう。」

ドイツの科学博物館でもちょっとしたことから
本田さんは自分の考えを見直すヒントを得ておられます。

普通の人ならふ〜んと思って済ませるかもしれないのですが
日々問題意識を持って過ごしていると
ちょっとしたことから新たな発想に結び付くのでしょう。

一方で、ドイツの科学博物館の人が
宇宙の全体像をどのように把握して、
現状分かっている部分の比率がこれだけと
算出できたのかはなぞと思います。

全体像が見えるということは
宇宙全体を知っているということであり
そうなると未知の部分は無いということになるからです。

宇宙全体の大きさがわかっていて
人間とか無人探査機が行ったことがある場所とか
望遠鏡で観察できる範囲が全体の
これくらいということならわかりますが
そういうことなのかもしれません。

そんなことはさて置き、
本田さんはドイツでまだまだ科学技術の
開拓できる未知の分野がある事に気づき
元気を貰われたことは確かなようです。
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2016年05月10日

あり余る未知への開拓「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは技術の底は深く
汲み上げても汲み上げても尽きないほど
無尽蔵であると言われています。

「私のところの子供なども、
 私が「これからは
  科学の万能の世の中になるから、
  発明家や技術屋になるとよい」
 というと

 「昔といまとは時代が違う。
  昔は科学が未発達だったから
  発明もできるだろうが、
  今日ではもう発明が漁りつくされて、
  もう出る幕が少なくなっているから、
  そう簡単にはいかないさ」
 とはなはだ懐疑的な答え方をする。

 子供に限らず、一般的にそういう見方をする
 若い人がはなはだ多いようである。

 たしかに、いちがいに「そんなことはない」
 と言い切れない面もないではないが、
 それはちょうど深い井戸の水を
 ポンプで汲み上げるようなもので、

 水がもう出ないから
 井戸が空だろうと思っていると
 それはとんでもない思いすごし、
 実は短い樋を使っていたために、
 樋の長さ分だけしか水が出なかった
 というのと同じことである。」

技術の進歩には限界はないと思います。
新しい技術が出て来たと思えば
それがその時代の常識になります。

一旦はみんなはそれで満足するのですが
しばらくすると不満が出てきて
次の目標が出てきてそれを改善するように
努力することになります。

今の時代で充分技術開発が進んでおり
これ以上の進歩はないと思っていても
びっくりするような発明が行われて
新しい時代に踏み込むことになります。
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2016年05月09日

これからは技術の時代「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはこれからは
技術を身に付けるということが
有利であると言われています。

「すでにわれわれの日常生活にも、 
 「会社まで電車で1時間!そりゃえらいですな」
 などと使われていて、「ほう、五十キロですか」
 などとはいわなくなった。

 つまりは、交通や通信のスピードアップが、
 人間の寿命をそれだけ延ばした勘定になるのだ。
 そして実際にも、ペニシリンやストレプトマイシンンが発見されて、
 人生はさらに延びたのである。

 さてそんなぐあいに、科学は二十世紀の事実上の立役者であるので、
 その科学は推進してゆく技術者もまた時代の寵児となった。
 ひところは、技術者は生産のほんの一部を
 受けもたされる組織の部品にすぎないと思われて、
 縁の下の力持ちとして功績なども全然認めてもらえなかった。

 現在でも、まだまだそういう風潮は残っているけれども、
 科学が進み、科学がなければ夜も日も明けぬということになって、
 その待遇もひところよりははるかによくなったことは間違いない。
 
 したがって、最も卑近ないい方をするならば、
 今後は技術を身につけ、その技術をもって人生を闘いとる、
 というゆき方がいちばん有利だといえないこともないだろう。」

本田さんのここの所でのコメントで
交通や通信のスピードアップが
人生の寿命を長くしたと言われています。

たしかに人生の寿命は昔は
人生50年と言われていた時代から
最近は80年と長くなりましたが
交通や通信のスピードアップと
寿命が長くなるのとは関係ありません。

人間の寿命は同じですが
同じ持ち時間の中で活発に動きたい人にとっては
移動時間が短くなることでやれることが
増えたということでしょう。

現在のインターネットの時代では
検索することで多くの事が瞬時にわかる様になりました。
こんなことは昔は考えられませんでした。

その意味ではやる気がある人にとっては
技術の発展によってどんどんとやれることが
多くなってきていると言えると思います。

これからも新しい技術を身につけた技術者が
新しい世の中をつくってくれます。
でも売れる製品となれば製品のコンセプトを
作れる能力がたいせつと思います。
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2016年05月08日

大衆をつかまえる技術「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは技術によって距離の概念から
時間の概念に変わってゆくだろうと
言われています。

「この二十世紀は科学を中心に動いている
 といっても過言ではなさそうだ。
 経済までもが科学を中心として
 変動しているともいえなくはない。

 人工衛星を引きずり出すまでもなく、電車、バス、
 飛行機の発達によって、都会は地方と密着したし、
 国と国との距離も非常に近くにものになった。

 またテレビや映画のトーキーの発達によって、
 O・Kとかストップとか、サンキュウーなどの言葉が、
 日常の慣用語となってわれわれの生活に密着してしまった。

 風習さえもが、戦前の世界に較べれば、
 いまは各国ともグッと接近している。
 もし、テレビがオールウェーブのラジオのように、
 世界各国のものがみられるようになったら、
 もう鉄のカーテンもくそもない。
 国境などなくなってしまうかもしれない。

 アメリカまでは船ならば一週間、
 飛行機では三十時間で到達する。
 これが誘導弾ならばモスクワからアメリカまで三十分だ
 ということになると、もうこれからは距離の概念は失われて、
 代わって時間がそれを代弁するようになるだろう。」

二十世紀はそれまでの時代とは
世の中が変化するスピードが急に速くなった
大変な時代でした。

それは技術が急激に進歩したためで
新しい技術によって今までは
とっても遠い場所であったところが
短い時間で行けるようになり
世界が狭くなったのです。

昔は蒸気機関の船で何カ月も掛かった場所が
飛行機で数時間で到着する時代が来ました。

それは技術者が新しい技術を開発したためで
その技術によって一般大衆は大いに便利な
生活を得ることになったのです。
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2016年05月07日

若い人の力を出させる「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは若者の力を
謳歌してやるようにするのが
大人の務めと言われています。

「カミナリ族を批判する場合は
 適切な方法でやってもらいたい。
 だれだって生まれたときから
 完全な人間になれるわけではない。
 そこで教育が必要になってくる。

 ただカミナリ族には生命にかかわるだけに
 甘やかすことは危険だが、
 厳しさの中にも若者の気持ちを理解し、
 よいほうへ導いていく温かさが欲しい。

 山登りだって、オートバイ以上に危険である。
 一年に何百人と死んでいるし、
 地元の人にも迷惑をかけている。だからといって、
 危ないから山に登るなというだけでは能がないし、
 そんなことで若い人の登山熱をさますことはできない。
 無理にやめさせようとすると、
 若さのハケ口がなくなって悪いほうに流れてしまう。

 登山にしてもオートバイにしても、
 現在より進歩しようという若い人たちのエネルギーの現れなのだから、
 それを彼らから取り上げるのではなく、
 正しい形で大いに若い力を謳歌するようにしてやるのが大人の義務であると思う。

 放歌高吟のほうが危険が少ないからといって、
 いまさら昔のように高下駄スタイルを真似しろといっても、
 いまの若い人たちには受け入れられない。
 それだけ時代は進んでいる。そこにタイミングを合わせて、
 業者もジャーナリストも一つになってPRすれば、
 危険なカミナリ族なんかすぐなくすことができると思う。
 その点私は楽観的に見ている。」

たしかにオートバイは危険な乗り物です。
以前四国を車で走っていた時にカーブでオートバイと
ライダーが倒れていて、一人には心臓マッサージをしていて
もう一人はあきらめたのか道路に寝転んだ状態になっていました。

車と違ってオートバイはライダーの生身がむき出しの状態で
猛スピードで走るのでぶつかると人命に関わるか怪我につながります。

でも本田さんがここで言われているように
危険というと山登りがあります
人間は危険とわかりながらもその魅力に負けて
山に登ることをやめないのでしょう。

危険なものほどそれを体験した時の
快感は強く心に響くのでしょう。
危険と快感は紙一重で表裏の関係かもしれません。
それでもそこに向かうのが若い人なのでしょう。
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2016年05月06日

カミナリ族について「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは大人がカミナリ族と言って
オートバイを取り上げろというのは
反発を感じると言われています。

「最近カミナリ批判が盛んだ。
 いきすぎを叩くなら大賛成だが、
 オートバイに乗っている人を
 全部カミナリ族と決めつけるような
 極端なもののいい方は気にかかる。

 そういうことを書いた人だって、
 昔はカミナリ族と同じようなことをやっていたに違いない。
 鼻緒の太い高下駄をはき、バンカラな帽子をかぶり、
 ストームとかいって夜中に街の中をワイワイガヤガヤ
 放歌高吟しながらねり歩いたに違いない。

 その放歌高吟が爆音に、高下駄がオートバイに変わっただけである。
 自分らが大人になって偉い地位に座れば昔のことを忘れ、
 若くて進歩しつつあるものの気持ちも理解できず、
 カミナリ族だマッハ族だと決めつける。

 私が小僧のときには、彼らの放歌高吟にはずいぶん悩まされたものである。
 音で悩まされるのは同じことである。ただスピーディーになっただけの違いである。

 あの年ごろのものは社会一般というか、
 現在あるものから一歩抜け出ようという気持ちが強い。
 それがいきすぎるとカミナリ族のような形で表現される。
 ルールを守るように徹底したPRをしなかったわれわれ業者も
 大いに反省しなければならないが、なんでもかんでも押さえてしまえ、
 オートバイなっか取り上げろという抹殺論的な表現には反発を感じる。
 それでは解決できない。」

オートバイに乗る人々をカミナリ族と呼んで
そのオートバイを作っているホンダおよび
本田宗一郎さんをカミナリ族の親分みたいに
悪く言った時代があった様です。

本田さんはここの文章で
今カミナリ族はけしからんと言っている大人も
若い時分は当時の大人からすると
けしからんと思われるようなことをしていたと
ちょっと憤慨されています。

若い人の行動はいつの時代も
少し年代が上の人からすると理解できないもので
それが時代が進歩しているという証ではないでしょうか。
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2016年03月09日

世代間の融合が必要「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは若い人とオトナとの
世代間の融合が必要と言われています。

「それが『オトナども』の世界ではどうか。
 『一犬虚に吠えて万犬実を伝う』の類で、
 たいてい個性を発揮せず、意見を述べず、
 欲望を出さずじまいで終わってしまう。

 これでは交響楽にならないではないか。
 仕事にならないではないか。

 だから『いまどきの若い者』を
 『太陽族』と呼び、破廉恥な不良青年と
 同一視する『オトナども』のやり方は
 百害あって一利もないことだと思う。

 そういう突っ放した見方をせず、
 青年と一緒になって物事をやり、
 考え、良いところを吸収してゆくところに
 世代と世代の融合が成り立つのではないかと私は思う。

 私は『太陽の季節』を読んで
 そんなことを考えたのである。」

最近雑誌を読んでいると
会社の役員クラスの人に
最近入社したばかりの社員の方が
メンターとなって最近のアプリとかの
説明をする会社があるようです。

時代が大きく変わらない時代は
年を取った人がいろんな知識を持っていて
若い人は長老の方のいうこと聞く構図でした。

最近は時代の変化が激しくなったので
若い人が知っていることを
年長者が知らないことが多くなっているので
過去とは立場が逆転してきているようです。

本田さんはここでは世代間の融合が
新しい仕事の成果につながるのではないかと
思われていて会社でのコミュニケーションが
新しいものを生み出すことになることが分かります。
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2016年03月08日

若者の個性を生かす「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは若者の個性を生かすと
一大交響曲をつくり出せると言われています。

「うちの社員は私を含めて平均年齢二十六歳だから、
 ほとんどがイキのいい青年で占められている。
 私は毎日いわば『太陽族』二百数十名と一緒に
 研究所で働いているわけだが、それが実に楽しい。
 能率も上がる。

 彼らは『オトナども』のように引っ込み思案をせず、
 いいたいこといい、したいことをさせてくれるといい、
 徹底的に自我を主張する。

 ときには私に食ってかかることだって
 ないではないけれども、それは仕事に限られていて
 そのほかではチャンと私を立ててくれる。
 だからさっぱりして気持ちがいい。

 だいたい私どもの研究所などは、
 研究員すべてが研究の上で最高度に個性を発揮し、
 その数々の個性を一点にしばり上げたところで、
 最も大衆的な製品を生み出すのである。

 それはいわば音の違った楽器が集まって
 一大交響曲をつくり出すのと同様である。」

ここの文章で驚くのが本田技研工業の研究所の
従業員の平均年齢が二十六歳という所です。

新しいものをつくりだすのが
ホンダの研究所なので若い人が多いのは分かりますが
それでも若いと感じます。

当時の他の自動車メーカーは
どうだったのか分かりませんが
圧倒的な若さであったのではないかと思います。

そんな若い技術者を本田さんが
束ねてゆくことで他には見当たらないような
個性的な車に仕上げることが出来たのでしょう。

しかしそんなホンダもだんだんと平均年齢が
上がってきていると思いますので
最近は他社に比べて個性的な製品がない気もします。

ここらへんで新しい基軸の車を
発表してもらいたいものです。
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2016年03月07日

若い者へのヤッカミ「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは若者へのヤッカミがいまの若い者は
という言葉となっていると言われています。

「私はこの小説を読んでからしばらくの間、
 『今の若い者』についてよく考えてみた。
 私と一緒に工場で、研究所で働く
 若い青年のことを思い浮かべてみた。

 すると、『いまどきのオトナども』がいう
 『いまどきの若い者は』という言葉が、
 全く根拠のないものだということがよくわかった。

 それは要するに若さに対するヤッカミにすぎないと思った。
 『いまどきのオトナども』だって、『いまどきの若いやつら』と
 同じことが実はやりたいのだが、世間体や地位や名誉のために
 大っぴらにやれないだけのことである。

 だからオトナどもは、隠れたところ、
 つまり太陽の当たらないところでコソコソと、
 若いやつらのやる以上の汚らしいことをやっているにすぎないのだ。
 『太陽族』などと呼べた義理ではないのである。」

若い者は自分の欲望に従って
世間体とかを考えたり、人にどう思われるかなどを
考えることなしに突っ走ることが出来ます。

しかし大人になってくると
だんだんと自分で自分の行動を縛ってしまい
思い通りの行動をとることが出来なくなります。

いつまでも自分の思いどおりに
行動する自由な生活をしたいものですが
そうならないので若い人をうらやましく思い
いまの若いやつらはと愚痴ってしまうのでしょう。
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2016年03月06日

青年の正直さに感銘「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは太陽族を実際に読んでみて
青年の素晴らしさを感じられています。

「私はそこで、どんなものだろうという興味にかられて
 『太陽の季節』を読んでみた。
 するとなるほどそのなかには社会をヒンシュクさせるだろうと
 思われるような箇所が一部あるにはあった。
 
 しかし、正直なところ、私はいっぽうにおいてこの小説が、
 そういう小さな欠点を補ってあまりあるだけの、
 すばらしい長所をもっていることを発見したのである。

 私がそれを読んで最も感銘を受けたのは、
 編中に活躍する青年たちが、
 うらやましいほど自由に自己を表現し、
 欲望を表現していることであった。

 小説の性質上、それが性の問題において
 強調されているのが残念であったが、
 それでも私は青年の正直さを素晴らしいものに思った。

 考えてみれば私たちとて若いころは、
 一円会費で芸者をあげたことも、
 ついに名誉ある病気をもらったことも、
 酔余の大奮闘をやったこともしばしばあった。

 そしてやはり『どうもいまどきの若いやつらは・・・・・』
 の叱声をもらったこともいまと同様である。」

本田さんは「太陽の季節」を読まれて
その登場人物が自由本望に
自分の欲望に従って行動していることを知って
うらやましく感じられています。

それは自分自身をかえりみて
若かった頃の自分がそのように
自由に行動して青春を謳歌した来られたので
その頃を思い出されたのではないかと思われます。

その実例として芸者遊びを上げておられます。
芸者を2階から投げ飛ばした話も有ったように記憶しますし
車を運転していて橋から落ちたようなこともあったと記憶しますが
詳細は本を読み返してみないと分かりません。
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2016年03月05日

太陽族とカミナリ族「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは太陽族について
ここで意見を述べられています。

「ひところ『太陽の季節』という小説が広く読まれて、
 日本中がその小説とその小説を書いた
 石原慎太郎という青年をめぐって
 大騒ぎをしたことがある。

 小説の主人公の行為や考え方が破廉恥で、非道徳で、
 したがって、それを書いた石原慎太郎という男もまた
 実に破廉恥な小説家であるという意見が
 世のオトナといわれる連中から出た。

 それだけですむなら結構だったが、
 そのうち新聞雑誌で『太陽族』という新語が登場し、
 若い青年のうちで、太陽の季節の主人公に似た考え方、
 生き方をしている人々を呼称するようになった。

 ところが、その呼び方は、いつの時代にもいる
 一部の不良青年を指して呼ばれ始めたにかかわらず
 いつの間にかいまの青年すべてが
 『太陽族』であるかのごとき印象を与えるようになった。

 そうして、それを機会に世の中のオトコたちの口からしきりに
 「どうもいまの若いやつらは・・・・・」という侮ベツとも
 嫌悪ともつかぬ言葉が漏れ出したように思う。」

今の若い人はという言葉は
年配の人が自分より若い人を見たときに使います。

その意味とするとところは
自分たちに比べて若いやつらが
いかにチャランポランでいい加減であるか
ということを嘆いているといった感じでしょうか。

しかしこのような言葉は
本田さんが来本を出された時代だけに限らず、
エジプト文明の頃に書かれた文章にも
同じような事が記されているようです。

つまり年配者から若い人を見たときの印象は
いつの時代も同じ感じを受けるようです。

それは自分がそれまで通ってきた時代を
若い人が過ごしているので過去の経験から
その時代の人々が不安定に見えるのかもしれません。
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2016年03月04日

自分の考え通りにふるまう「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは自分の性格にあった
振る舞いをするのが楽であると言われています。

「私は人間同士で、バカとリコウには
 そんなにハッキリした境界は
 ないのではないかと思う。

 ずいぶん知恵のありそうな顔をしている人もいるが、
 たいていそんな人には化けの皮の現れる『痴恵』が多い。

 その人が偉いか、偉くないかは第三者が決める事なのだから、
 リコウぶっても、上品ぶっても、結局は同じことである。

 私は法律でつきあわなくてはならないような人とはつきあわないが、
 そうでない人とはだれとでもつきあう。
 それは科学でも、技術でも人間関係が基調であると思うからだ。

 要は人間の助け合い、チエの貸し借りが事業や
 社会を進歩させると考えるからでだ。

 そういう意味では、自分の性格通り、
 考え通りにふるまったほうが楽である。
 人もまたそれを楽だと考えるだろう。

 私がおびんずるさんを愛するゆえんである。」

本田さんのここの文章からは
人間の根本にはそんなに違いが無いものであり
利口ぶって格好つけてもすぐに化けの皮が
はがれてしまうものであるので
自分の本性を包み隠さずあけっびろげで
暮らすのが楽でいいと思われていることが
伝わってきます。

それともう一点気になるのは
知恵の貸し借りで事業とか
社会が発展すると言われている点です。

本田技研工業と言うと、
他人のまねを嫌い
独自路線を歩む企業のイメージが強く
それは本田さんの思想に基づくものと
考えていましたがここの文章では
知恵を貸し借りして社会を発展させると
言われているので、
本田さんの思想の柔軟性を感じます。
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2016年02月05日

長所も短所も見せる「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは
自分の長所も短所も見せていると
言われています。

「社長だから、社長室の机の前で、一日中鼻クソを
 ほじっていなければならぬといういわれはない。
 私はもしそんなことになるくらいなら、
 おそらく社長をやめるに違いない。

 わたしにはそれが我慢できないからだ、
 研究所のなかで一緒に油にまみれながら仕事をしているのが、
 私にはいちばん性に合っているからだ。

 私は、法人組織というものは、
 あらゆる型の異なった人間が集まり、
 そこであらゆる異なった特長や意見が遠慮なく提出され、
 それが討論や議論をへた上で、
 一つの目的に活かされてゆくのがそれであると思っている。

 だから、私は人の長所も短所も遠慮なく出させるし、
 私自身の長所も短所も隠さずに出すようにしている。」

本田さんはいわゆる管理者としての
社長という働き方ではなく
技術者としての働き方をされた方と思います。

ここの文章でも社長室で机の前に座っているのは
性に合わずに研究所のなかでみんなと一緒に
油にまみれて働きたいと言われています。

そして、会社にはいろんな人が必要で
いろんな人が自分の個性をさらけ出して
良い製品を世に送り出すという目的に向かって
邁進する事が会社組織というものの
あるべき姿ととらえられているようです。
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2016年02月04日

飾った『痴恵』と飾らぬ知恵「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはここでは人間は
平等であると言われています。

「私は現在社長の地位にあるから、
 こと仕事に関する限りは社長、
 重役、社員の階級制は認める。
 
 しかし、仕事が終われば、
 あるいは仕事の外では、
 私も人間であり、
 社員も人間であることを自覚する。

 人間である以上、だれでも平等であり、
 同一線上にあってよいことだと思う。
 だから、だれとも世間話をするし、
 馬鹿話も、ときには下がかった話だって平気でやる。

 仕事中でも、私はそんなに分けへだて
 をしているつもりはない。
 部下がよいプランを提出し、
 よい意見を述べやすい状態をつくるために、
 私はザックバランな態度で接する。」

本田さんは技術を第一に考えて行動されたと思います。
なのでいい加減なことをいうと
鉄拳というかスパナが飛んできたと思います。

それと並行して働く人間を大事にされてきたと思います。
働く人間が主人公となって毎日工場とかで
仕事をすることで生きがいを感じると
思われていたのではないでしょうか。

ここの文章では、組織としての
階級制度は認めるが、会社員と言う前に
一人の人間として平等であると言われています。

この辺りの考え方が通常の社長と違うところで
本田さんならではの視点ではないかと思います。
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2016年02月03日

庶民性を尊ぶ「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはおびんずるさんが
正直で素直な仏であると言われています。

「以来おびんずるさんは仏界を追放され、
 お寺の本堂から閉め出されているわけだが、
 私はこの人のよいおびんずるさんの庶民性に、
 非常な共感を感じてならない。

 もちろんのこ世の中には、集団社会だから、
 自分の好き勝手に走って人の迷惑をかけたり、
 法律のワクを犯すようなことは慎まなければならないが、
 そういう範囲内でやるならば、あまり気がねなしに、
 泣きたいときには泣き、嬉しいときには喜び、
 怒りたいときには怒って、気楽に暮らしたほうが面白い。
 
 おびんずるさんだって、決して悪気はなかったのだろう。
 いや、むしろほかの仏さんたち以上に、
 お釈迦さんの恩義を感じ、深く悲しんでいたに違いない。
 よく解釈すれば、それがためのヤケ酒だったかもしれないと私は思う。

 だからおびんずるさんにすれば、
 日ごろたいして感謝も恩義も感じていないやつらが、
 このときだけ忠義面をしてお釈迦さんの枕頭に
 へばりついているのがシャクにさわっていたのかもしれない。
 おそらく彼は正直で、素直すぎる仏さんだったのだろう。」

本田さんの文章からは、いい伝えの
おびんずるさんが悪者ではなく
本当はいい仏であると思っておられます。

そしておびんずるさんは正直で
素直な仏さんだったのであろうと結ばれています。

この文章からはおびんずるさんに
本田さんご自身を見ておられ
じぶんも羽目を外すことがあるが
それはご自身が正直で素直な人間であるためであると
読者に伝えたいのではないでしょうか。
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2016年02月02日

おびんずる式処世法「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんはおびんずるさんという
仏さまについての解説を最初にされています。

「おびんずるさんという仏さんが
 いることをご存じだろう。
 浅草の観音様へ行っても、
 どこのお寺へ行っても境内の一角のほこらの中に、
 真っ赤な顔をして座っているのが
 おびんずるさんなのである。

 おびんずるさんは、やけどや傷を
 治してくれる仏様といういいつたえがあって、
 人のよさそうな真赤な顔のおでこを、
 善男善女が叩いたり、さすったりしてゆく、
 だからおびんうるさんおおでこは、
 たいてい赤いところがすりむけて、
 手あかでテカテカに光っている。

 このおびんずるさんは、
 その昔たくさんの仏様のうちの一人だったのだが、
 生来朝寝、朝酒、朝湯が大好きだったのかどうか、
 お釈迦様が入寂するとき、
 ほかの仏様がみんな枕元につめかけて、
 オイオイ悲しんでいる最中に、
 一人酒を呑んでクダをまいていた。

 ほかの仏様だって、ほんとうに
 悲しがっていたのかどうかはわかりゃしない。
 なかには「泣く泣くも良いほうを取る形見分け」
 というような不心得な連中だって混じっていたのだろうが、
 とにかく、ある尻メドの狭い仏様から

 「本日この重大なときに当たって、
 おびんずるのみ酒をくらい酔って、
 日ごろのご恩を蒙った恩師のご臨終に出席しなかった。
 これはわれわれ仏の品位を大いに傷つけるものだ。

 私はあえておびんずるに対して
 厳重なる制裁をようきゅうするものである」
 との緊急動議が提出され、
 ついに満場一致で可決されてしまったのである。」
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2015年12月13日

大衆の勉強が必要「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは戦後は大衆の時代なので
その要望を嗅ぎ取る勉強が大事と言われています。

「人に使われて働く人々においてさえ、
 今後の時代は勉強を求めているのであるから、
 自力で組織をつくり、それを大きくしようというのであれば、
 さらに勉強は必要であろう。

 ことにこれからは、技術者であると同時に
 経営者の才腕をそなえた人でなければ、
 事業を進展させることは不可能な時代に向かいつつある。
 生産と販売とのいずれかが主体になるべきかといえば、
 その重さはまさに伯仲しているからである。

 となれば、技術者だから、工員だから、といっていられない。
 日常のすべてにわたって勉強を拡大しなければなるまい。
 ラジオ、テレビ、映画、そして職業の違う多くの人との交際、
 みな勉強になるのである。

 したがって、工員として将来何ごとかをなそうとなそうと思うならば、
 実地の勉強、基礎の勉強はもちろんであるが、
 あらゆる種類の人と多く会う機会をつくり、
 自分の知識を与えるかわりに、人にも知識をわけてもらう
 努力をすることが大切である。

 戦後は大衆の時代であるといわれるように、
 大衆を相手としなければ商売も事業も成り立たないのである。
 それゆえ自分も大衆の一員に徹し、
 大衆の嗜好と希求をかぎとることも
 たいへん重要な勉強のひとつといえる。」

本田さんは研究所というところは
人間の研究をするところと言われていたと記憶します。

つまり、研究所で新しい製品の開発をするのですが
その製品は購入したいと消費者が思う必要があるので
大衆である人間がどのように思うかが
わかる必要があるということだと思います。

そのためには自分の専門技術の勉強も大事でしょうが
世の中の勉強も必要ということと思います。

自動車の専門技術だけではなく
いろんな人との交流から見える世界を拡げて
今の時代の大衆が何を欲しているかが
分かるようになれば良い製品(売れる製品)を
開発できることにつながるのではないでしょうか。
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2015年12月12日

周囲の勉強も必要「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは自分の専門技術だけではなく
周囲の仕事の勉強も必要と言われています。

「私は、「工員は勉強などする必要はない」
 という人に対して、いつもこう話すのである。

 「刀鍛冶の正宗の時代には、
  特定の縦にも横にも広い天才がいれば、
  それで仕事ができた。
  次の産業革命後のフォード(アメリカの自動車王)の
  時代には、仕事をバラバラに解体し、
  それを一つの流れにして作り上げるようにした。

  それが現在ではどうだろうか。
  製品が年々型を変えて市場に放出されるために、
  同じ流れ作業でありながら、
  個人は一つの技術をマスターした瞬間には、
  もう次に来るべき技能を予想しなければならなくなり、
  ついでほかの関連部署の仕事も知悉(ちしつ)
  する必要性に迫られてきた。

  言葉を変えていえば、自分に高度の知識と
  技術を植え付けると同時に、隣の部署の仕事をも
  理解できなくてはならないということである。
  したがってやはり勉強が大切であるといえるだろう」と。」

昔は一人の人が全部の生産工程をこなしていたが
最近は流れ作業となって個人は一つのパートのみを
経験するので全体が見えにくくなっています。

その意味では大企業に就職した人は
大きな組織の一つの歯車の経験しかしにくくなります。
よって会社とか生産ラインがどのようになっているかが
理解できにくくなってしまします。

一方、小さな会社に就職した人は
仕方なく一人でいろんな仕事をする羽目になりますので
何でも屋さんみたいなところもあります。

しかし、別の見方をすると一人で
広い範囲の仕事ができるので
会社の仕組みとか生産ラインの全体を把握することになります。

よって、将来自分で仕事をしたいと思う方は
小さな企業で、自分の専門と全体が見える
経験をするのがいいのではないかと思います。
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2015年12月11日

大衆を掴む勉強「スピードに生きる」本田宗一郎

本田さんは現代においては
技術が大きく変遷してきているので
勉強が必須と言われています。

「さて、世の中へ出ていざ何かをやろう、
 という段取りになると、
 私が基礎勉強をやり直したいと考えたと同様に、
 誰でも勉強をしたくなるだろうと思う。
 もし思わなければ、それは向上心のない人で、
 勇気や覇気に乏しい人だと思う。

 現在は分業制度になっていて、
 旋盤工なら旋盤工、圧延工なら圧延工として、
 その一つの仕事の熟練工になる事ができれば、
 相当に高額な収入をうることができ、
 目先当分の生活は保証されたも同然である。

 だから、たしかに何も基礎の学問など
 しようとしまいと問題はないようだが、
 実は時代は科学の面で大きく変貌し、
 個人のそうした特殊技能は、
 かならずしも永続的に信頼をおきかねる
 情勢になっているのである。」

技術が変化しないような昔であれば
一つの技術の専門家となれば
その技術だけで一生暮らして行けたのだと思います。

たしかに今でも寺院仏閣を設計施工するような
特殊な伝統技術の世界では
その道の技術を習得する事は大変でしょうが
一旦あるレベルの技術を習得すれば
大家として生きていける気がします。

しかし自動車のような製品の場合は
ちょっと前まではガソリン車だけでしたが
最近はハイブリッド車が中心になってきていますし
水素自動車も販売を開始しています。

それと、自動ブレーキシステムは
かなり浸透してきています。
自動というと、自動運転技術の研0究なども
自動車メーカーだけではなく
グーグルなどのIT企業も研究しています。

なので、企業がどの分野の研究に力を入れるか
ということは経営サイドとしては大事です。
一方、働く人も新しい技術に対応できるように
勉強する事が必要となっています。

その意味では現代には安定という状態はないので
いつもストレスにさらされている大変な時代と言えそうです。
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