2017年11月24日

時間をもてあます余生「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
70歳になる前に、たいていの人が
時間をもてあます余生になってしまう
と書かれています。

70の坂にかかる前は、私は年をとってから
自分がこんなに意識的に生きるための
努力をする必要があるとは思ってもいなかった。

60になると、定年ということもあって、
多くの人が職を離れ、
それを潮時にへこたれることが多いので、
職を離れても第二の人生を築き、
死ぬまで現役で通せばいいじゃないか、

そのためにはいままでやってきたことと
同じことを死ぬまで続けてもよいし、
全く新しい道を開いてもよいと自分にいいきかせてきた。

ところが、実際に70の坂にさしかかってみると、
先にふれたように、70の坂は異常にきびしい。
だからこそ古稀といわれるのであろうが、
この年齢は肉体的に越えにくいだけではなく、
実社会からシャットアウトを食わされる年齢でもある。

一般のサラリーマン上がりの人であれば、
まず60歳で長年つとめてきた職場を追われ、
時間をもてあます余生になってしまうのである。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

そんなにお金にこだわるな「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
年をとると自分の人生にとって
お金の占める割合がだんだん小さくなる
と書かれています。

富とか、財産とか言ったものは、
どんなにたくさん持っていても、
死ねばいずれなくなってしまうものである。

誰かがそのあとを継ぐとか、
税務署にごっそりと持っていかれてしまうとか、
人によって違うが、どっちにしても灰になって
見えなくなってしまった人とは関係がなくなる。

年をとってからお金に不自由するというのは
いささか情けないけれども、年をとると、
お金を使いたくても使えなくなるのだから、
必要以上のお金は要らなくなる。

従ってお金のために人と争うのがバカらしくなるし、
お金をこれ以上溜め込むのも意味がなくなるし、
お金を使って楽しいと思うことがあったら、
そのためにお金を使うことも惜しまなくなる。

年をとると先が心配になってお金にこだわるようになるとか、
ますますケチになるというのが普通であろう。
もしそうだとしたら、年をとるにつれてお金にこだわらないようにすること、
年をとるにつれてだんだん気前がよくなるように努めればよいことになる。

そんなこと簡単だと思う人があるかもしれないが、
それがなかなかそうもいかない。
というのも、放置しておけば、しぜんにケチになるのを
意識して逆の方向に持っていくための努力が必要だからである。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月22日

みんなが計算に入れているあなたの死「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
自分の存在意義は先見性で、
それを多くの人が支持してくれているから
と書かれています。

年をとってくると、だんだん物事にこだわらなくなる人と、
小さなことにもこだわってますます頑なになってくる人に分かれてくる。
物事にこだわらない人は、相手の気持ちを尊重するから、
「好々爺」といわれたり、「花咲爺」の部類に入れられる。

反対に自説にこだわって譲ることを知らない人は、
「意地悪爺さん、意地悪婆さん」にされたり、
「欲張り爺さん、欲張り婆さん」と陰口をたたかれるようになる。

人それぞれが長い時間をかけて生きてきた結論が見えてくる。
それだけに自分の経験にもとづいた信念のようなものを持っているから、
自説を曲げて他人に付和雷同するよりも、自説にこだわろうとする。

従って、年をとったら、似た年齢の年寄りとつきあうより、
もともと意見の違うのが当たりまえだと思っている
若い人に囲まれて暮らすほうがまだ気楽だ。

私は若い頃、よく「怖い人」だと人にいわれた。
自説を曲げず、簡単には譲らないような雰囲気が
身近に漂っていたのであろう。

それが年と共に人のいうことに耳を傾けるようになり、
自分の生きるルールを守ることには依然として固執するけど、
他人を説伏せるような気持ちはだんだん消えてしまった。

年と共に、すべてのことにそれぞれ存在する理由があり、
それによって世の中のバランスがとれているのだという認識が強くなっている。
そうしたなかにあって、自分にいまも存在理由があるとすれば、
人々が支持してくれるだけの先見性を持ち、
それを多くの人々が共感してくれるからだ、と私自身が思うようになった。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

食べ物はすべてクスリ「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
「医食同源」にそれなりの根拠があるということが
ますます明白になってきた、と書かれています。

食のすすむ方法は、その人の好物を出せば、
しぜんに箸が出てくる。好物というものは、
その人の生い立ちとも関係があるが、
たぶん身体の生理的欲求ともかかわりがあるだろう。

日本にはあまり見られない傾向だが、
私の育った台湾では、病気をすると、
食べてはいけない食物と、
逆に病気に効果のある食物がはっきりしていた。

現に今日、医薬として口から入れられるものでも、
動植物や土石から抽出されたものはいくらでもある。
そのなかには漢方からヒントを得たものも少なくない。

西洋医学と東洋医学の常識の中には相矛盾していることも再三ならずある。
なかにはいささか荒唐無稽に属するものもある。

しかし、口を通して胃袋に入るものが
その人の健康に大きく影響するという発想は
議論の余地のないところである。

若い時は食欲が旺盛だから、何を食べても栄養になるし、
大して害毒になるという感覚がないのが普通である。

しかし、年をとってくると、食の細った分だけ
食べたいものとそうでないものの好き嫌いがはっきりしてくるし、
身体がそれを受け付けそうにないものと心地よく
受け付けるものの違いが出てくるから、
食べ物がクスリであることに次第に合点がいくようになる。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月20日

食は文化の物差し「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
食べることはその国の文化を測る
最も重要な物差しの一つであると書かれています。

ふだんの食事に小うるさいだけではなく、
千里の道もいとわないという生活もやってきた。
フランスの田舎にある三つ星レストランを訪ねるために
毎年のようにヨーロッパ旅行に出かけたし、

昨今では中華料理のオリジンを求めて、
広州や成都はもとよりのこと、揚州とか無錫とか、
紹興とか寧波のような料理の歴史の古い都市まで
わざわざ車をとばして食べ歩いている。

しかしそれより大切なのはふだんの三度三度の食事だと思っているから、
家にずっとコックもおいていたし、味噌でも漬物でも、
自分の好みのものは自分で出かけて買ってくる。

こんな口うるさい旦那を持つことは、かみさんにとっても、
使用人にとってもしあわせなことであるかどうか問題である。
しかし、うまい料理をつくったら、うまいと誉めてくれる人がいないと、
料理の水準だって高くはならないのである。

日本料理にしても、中華料理にしても、またフランス料理にしても、
賞味してくれるそうしたパトロンがいるおかげで発達してきたものである。

食べることは健康のバロメーターであるから、
(1)どうすれば食がすすむか、(2)健康に役立つ食べ物は何か、
を気にするようにもなってきた。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月10日

大食いは健康のバロメーター「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは、
食べることは健康のバロメーターであるから、
(1)どうすれば食がすすむか、(2)健康に役立つ食べ物は何か、
を気にするようにもなってきた。とかかれています。

「腹八分目は健康のもと」といわれているけれども、
長生きをする人を見ていると、食欲旺盛で大食いの人が多い。
少々ぐらいの暴飲暴食など気にするほどのことではないのである。

つまり、丈夫な胃袋に恵まれた人のほうが小心翼々として
健康に気をつけている人よりは健康に恵まれるものである。
だから私は、自分の娘や息子が結婚相手を選ぶ時も、
なるべく大食いの人を探すようにアドバイスをしてきた。

しっかり食べられることは健康のあかしだから、
そういう相手を選ぶほうが厄介なことにならないですむのである。
自分の両親を選ぶことはできないけれども、
配偶者なら選べるのだから、これも人生を明るく生きるための
知恵の一つといってよいだろう。

さて、同じメシを食うにしても、自分の日常生活の中で
どういう位置におくかは人によって違う。
飢えを充たすため、もしくは生命を維持していくためといった
生理的な要求だけで間に合う人もあれば、
一食一食にこだわって、食を人生の一大事と信じ込んでいる人もある。

私は食べることにこだわる家に育ったので、
自分が家庭を持つようになってからも、
衣食住のなかで食を一番大切にしてきた。

食を大切にしてきたということは、
おいしいものには目がないということだが、
それはおいしいものを求めて
千里の道もいとわないということよりも、
自分の家にいてもふだんの食事に小うるさいということでもある。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月09日

人間の身体は50年は持つ「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
よほど粗末にできた構造でない限り、
人間の身体は日夜酷使してもほぼ50年は使用に耐えるということであり、
それを大事に使えば、あと20年や30年はもつ、と書かれています。

年をとって一番心配になるのは、
収入がなくなってメシが食えなくなるのではないかということと、
病気になっても面倒を見てくれる人が
いないのではないかということであろう。

お金がなくなれば、もちろん、食べたいものも食べられなくなるが、
身体をこわしてもメシは喉を通らなくなる。
お金と健康と二つながらに揃わないと駄目で、
どちらが欠けてもメシは食えなくなってしまうのである。

お金がなくなったためにメシの食えなくなる心配は、
お金があれば解消するのだから、
元気なうちにその対策を講じておけばよい。

ところが、いくらお金があっても、健康を害すると、
メシが喉を通らなくなる。年をとっても、食は自然に細ってくる。
だから、若い時から大して食の進まない人を見ると、
年をとってからどうするつもりだろうか、と心配になってしまう。

南アフリカのクリスチャン・バーナード教授に
「病気にならないようにいつも健康を保つ秘訣は何ですか?」ときいたら、
「病気をしない健康な両親をみつけることですよ」と答えた。

しかし、健康な両親であってほしいと思っても、
子供に選択権があるわけではない。
となると、「身体にくれぐれも気をつけて」と言葉をかけても、
気休めのようなものにすぎない。

そうはいっても、ちゃんと食べ物に気をつけたり、
身体に気をつけたりするのと、そうでないのとでは、
やはりそれなりの違いがあるはずである。

現に私の周囲でも、夜を徹して酒を飲む習慣を身につけた
友人たちはほとんどが50代で死んでしまっている。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月08日

老人の口にあう料理のコツ「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
体調が戻ってきたので
行動力も戻ってきたと書かれています。

年をとると、時代の動きについていけなくなるということも起こるが、
自分自身の考え方や趣味趣向も変わってくる。
食も細るが、食べたいものも変わってしまう。

まず十何年も使ってきたコックのつくる中華料理を
だんだん受けつけなくなってきた。

お客を接待する時は、料理のメニューは
相変わらず私と家内で決めたが、
当日のお客の年齢のことを考えると、
内容はどうしても一変してしまう。

もちろん、こってりした豚肉とか、
鶏の唐揚げなども全く出さないわけではないが、
豆腐や野菜などが主流を占めるようになっている。

そのほうが口にあうと自分たちも思うようになったのだから、
年をとった友人たちも恐らく同じだろうという
前提に立っての模様替えである。

ある時、古い小説仲間を招んだら、
食事のあいだじゅう、原稿が書けなくなった話と、
昔話になってしまったのには改めて一驚した。

料理が変わっただけではなく、
食卓の話題まで後ろ向きになってしまったのである。

私はいくら自分が年をとっても後ずさりの人生はいやだと思っている。
そういう私がクルリと後ろ向きになった時が一ぺんだけあった。
一時はこのまま駄目になるのではと観念した。

しかし、これではいけないと自分にいいきかせ、
何とか自分の姿勢を180度回転させる方法はないかと死に物狂いになった。
すると、あらあら不思議、なせばなるで、
いつの間にかいつもの姿勢に戻っていた。

やはり年寄りの仲間入りはしないようにしよう。
昔話をするひまがあったら、次に手がける仕事のことを考えるようにしよう。
そう思っているうちに、いつの間にか不調だった体調もだんだん良くなってきた。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

満たされた時をすごす「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
家にコックをおくことは人から見ると、
一見、うらやましいような生活をしているようだが、
コックを使いこなすこと自体、
決して楽なことではないのである、と書かれています。

私はお客を招くのが好きで、若い時からずいぶん
いろいろな人を自分の家に呼んでご馳走をしてきた。
ボロ家にいる時分から平気で人を家に招いた。

そんなあばら家でも、臆面もなく人を接待したのは、
家内の料理の腕が確かで、そのへんの料理屋より
ずっとましな料理をつくることができたからである。

その頃は、どんなメニューにするか、
家内と二人で長い時間を掛けて相談した。
お客の食欲に合わせて素材や調理の仕方も変えて
順序よく料理を出さなければならないし、
狭い台所で家内が一人で蒸したり、揚げたり、
炒めたりしなければならないから、
その段取りが可能かどうかも考慮に入れなければならない。

また中華料理の材料は近所の商店街では手に入らなかったから、
当日になると(もしくは前日から)横浜の中華街か、
築地の魚河岸まで仕入れに出かけ、私が買い出し人、
家内が料理人というのをずっとやってきた。

48歳になって台湾に帰るようになったころには、
多少は家計にゆとりもできるようになったので、
少しは家内に楽をさせてやろうという気持ちになって、
東京の家に中華料理のコックをやとうことになった。

ところが、実際にコックを使ってみると、
自分がそれになれるまでにたいへんな努力がいることがわかってきた。
家風に合った料理ができるまで訓練をする必要がある。

また、コックをやとうとなると、人を使う難しさもあるし、
それだけお金もかかる。無駄遣いのほかに、
見て見ぬフリをしなければならないこともたくあんある。
いやでも太っ腹にならなければ、
大人と呼ばれるようにはなれないのである。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

長い苦悩の2年の歳月「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
健康を取り戻したことで
考え方も行動も今の時代に合わせるように
努力することが出来たと書かれています。

「みんなしあわせとはいえないわね。
 老齢期というものは、そういうものなんですね」
 いいだしっぺは家内だった。

いわれて、その目でよくよく見ると、
娘が縁遠くて嫁に行けなかった家もあれば、
息子が外でさんざん借金をつくって、
その度に親がしりをぬぐってまわった家もある。

本人が急病であっという間に死んでしまった家もある。
かと思えば、日本中でも、上から勘定して10本の指に入るような
資産家がバブルで全財産を失ってしまった家もある。

こうなると、老齢期にピンチにおちいるのは
自分だけではないのだといくらかでも慰めになるが、
もしこのまま落ち込んでしまったら、
自分もこのまま駄目になってしますぞと
改めて自分に警鐘を鳴らすことになった。

もし、じじむさく見えないようにしたいと思ったら、
とにかく前向きに向きを変えなおすことだ。
若い時は前向きに進んで、そのために負傷したり、
大損をしても、物おじしなかったではないか。

年をとって守勢にまわるようになると、
だんだんそれを忘れて大事をとるようになる。
その結果が人間を消極的にし、
ついには殻の中にとじこもるようにしてしまう。

それでもしあわせならいいけれど、
どうもそうではないということになったら、
やっぱり陣地の立て直しからはじめるよりほかないのである。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月27日

ひそかに死ぬ時期の計算も「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
老後は心配事の多い、煩わしい、
しかも故障続きのポンコツ人生が多いのである
と書かれています。

「死生命有り、富貴は天に在り」と
論語にも書かれているように、
人の生命と金持ちになれるかどうかは、
本人の思うようにはならないものである。

なかでも人の生命ほど儚いものはなく、
昨日まで元気だった人がアッという間に死んでしまう。
65歳を超えてくると、みな死亡適齢期に入ってしまうものであるから、
いつ死んでもおかしくない。

しかし、人間には生きようとする本能があるから、
できる限り長生きしようとするし、
病気になっても医者が生かせられる限り生かそうとする。

おかげで、もうあの世に行った方が本人のためにも
家族のためにもなる年寄りが、
いつまでも生命力を維持して社会の重荷になっている。

周囲を見ると、私と同年輩の人たちで
楽しそうに暮らしている人は一人も見当たらない。
会社の業績不振で手を焼いている人もあれば、
息子や娘のことで頭を抱え込んでいる人もある。

年齢が60代、70代ともなれば、
身体のあちこちに故障が起こっているから、
病床に伏しているか、食事に招待されても
出てこられなくなっている。

人生は60歳で終わりだったのが
80歳まで延長されたというが、
最後の20年を安逸に送れるという保証があるわけではない。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

心労のあまりついにダウン「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
心労で倒れたが、タダの人になって
余生を送りたいという気持ちには
ついにならなかった、と書かれています。

私が70の坂を前にして、すっかり調子を崩し、
自分の部下にすら「タダの老人になりさがってしまいましたね」
と指摘されてしまったのだから、ショックでないといったら嘘になる。

「貧すれば鈍する」とはよくいったもので、
そういう時はなかなかいい知恵も浮かんでこないものだし、
ご馳走を目の前に並べられてもほとんど喉を通らない。

「これでも自分はまだ生きているのだろうか。
もし生きているとしたら、どんな生き方が残っているのだろうか」と、
眠れないまま考えあぐむことが多い日々であった。

少なくともこういう場面は『死ぬまで現役』を書いたころの
私の計算の中には入っていなかった。

いくら何でも何もやることのない人生があっていいものだろうか。
というより、何をやってよいかもわからないままに、
ボーッとしていていいものだろうか。
そういう人生を余生とでもいうのだろうか。

私は自分の事業もそうだが、日本の経済環境は
もっときびしくなるという認識を持っているし、
台湾・香港・中国も含めて景気はまだまだ下り坂という
悲観的な観測をしていた。

そのなかにおかれた自分がその影響から逃れられないとすれば、
自分のピンチはまだまだ続くと覚悟しなければならない。

気分のすぐれない時はバイオリズムがマイナス方向に向かう時である。
どうやら私はタダの老人になりさがってしまい、
心労のあまり、とうとう身体までこわしてしまった。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

常にリスクを頭の隅に「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
幸運にも恵まれたせいもあって、
タダの人でない生活をつづけてくることができたのである。
と書かれています。

タダの老人にだけはなりたくないと常々、
思っていたはずの私だった。
それがアッと気づいたら、タダの老人どころか、
もっとひどいことになってしまった。
ちょうど70歳に手が届こうとしていた時分のことである。

原因は、仕事のやりすぎであった。
同時に九つのプロジェクトを実行に移して、
そのうちのどれ一つが予定通りに進まなくても
個人財産では埋め合わせがきかないほどのスケールであってみれば、
万事、うまくいくと思うほうがどうかしている。

考えてみれば、そういう重圧を自分に課する習慣は
何もいまにはじまったことではない。

若い時は信用もなかったから、
スケールは小さかったが、その時なりに身にあまる
大量の仕事と借金に挑戦した。

自分の限界ギリギリにやらなければ、スリルは感じない。
その度に失敗をして、「もう駄目だ」「死んでしまいたい」と
クタクタになって弱音を吐いたとしても、
何とかピンチを切り抜けると、もうその時の苦しみは
忘れてしまっているのである。

若い頃、私は「タダの人ではない」と自分にいいきかせて、
人生の岐路に立った時、容易な道より険しい道の方を選んできた。

子供たちとも、いつも倒産して無一文になった時のことを
話題にしているから、家族で吉兆や招福楼のようなところへ行って
贅沢な一夕をすごしている時でも、ヨーロッパ一等旅行に行って
クラリッジやリッツのホテルに泊まっている時でも、
失敗した時のことは片時も頭から離れない。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

ただの老人になりさがった?「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
70歳を前にして「とうとうセンセイも
ただの老人になりさがってしまいましたね」と
ゴルフ場の再建に任命した支配人から
遠慮のない口をきかれたと書かれています。

ゴルフ場をオープンさせたのは、93年、
私が69歳になった年の10月のことだった。
ヤオハンのデパートのオープンは7カ月遅れた。

工事が遅れたり、マンション販売上のトラブルがあったり、
予算オーバーで新しい資金繰りを迫られたり、
しかもそれが運勢の曲がり角に立っている
私の上に覆いかぶさってきたので、
69歳の坂を越えて70歳に到達できるかどうか、
自分でもわからなくなってしまった。

そういう緊張した心境の中で、
私は台湾から香港に行く中華航空に乗り、
93年11月4日に啓徳飛行場で
海の中に突っ込んでしまったのである。

そこで死んでしまえば、
遺された家族は困ったかもしれないが、
私はすべての問題から解放されて楽になったはずである。
ところが、海の水を頭の上からしたたかに浴びたにもかかわらず、
手傷一つ負わなかった。

運の変わり目のところで、飛行機事故にあいながら、
かすり傷一つ負わずに、私は人間界に戻ってきてしまったのである。
だからといって、これで運が戻ってきたわけではない。
それどころか、いよいよ私の悪戦苦闘がはじまったのである。

70歳の坂はなかなか越えられないときいていたが、
なまじ60代を一跳びできたばかりに、
強気になって仕事を拡大した分だけ
禍のふりかかってくる勢いも大きくなっている。

気苦労のあまり私は食も進まなくなったし、
痩せて体重も減った。とうとう糖尿の持病が悪化して、
ベトナム視察旅行を前にして、
東京で講演をしたあと、意識を失って救急車に乗せられて
都立広尾病院までつれていかれてしまった。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

定年退職の歳ごろからハッスル「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
私はサラリーマンが定年となる歳になって
逆にハッスルするようになった、
と書かれています。

中国では九という数字を諸事万端、
曲がり角とかんがえているので、
そこでうまくつながれば、
次の十年は比較的無事に送れるが、
そこで切れてしまえば一巻の終わりになると信じている。

だから、49歳とか59歳は運の変わり目であり、
そこで病気をしたり、
仕事で壁にぶつかったりすることを予想に入れて、
周囲の人々が「くれぐれも気をつけてくださいね」と
アドバイスすることが多い。

私は何でも一応は疑ってかかる性分だから、
古人の言い伝えやジンクスはあまり気にしないほうだが、
それでも42歳の厄年の時は
人生の希望を失って死にたいと本気で思ったし、

49歳の時はちょうど石油ショックにかかって
一年のうちに7社も工場を閉鎖して
50歳の坂が越えられないのではないかと
いぶかった経験を持っている。

また、59歳の時は、私自身が台湾の将来について
かなり悲観的になっていたので、
万事消極的で、借金も抱えていた。

しかし、それが却って禍を転じて福となし、
還暦は平常心で迎えることができた。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月13日

坂は実際に登らねばわからない「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
70歳はもはや古来稀なものとはいえないが、
そこに至る坂がどのくらい険しいかについては
実際に自分で登ってみなければわからないものである
と書かれています。

人は定年になると、会社を辞めたり、
馴れた仕事から離れて、新しい環境に移るが、
そこで気をとりなおして、もう一度、
第二の人生をスタートさせる人もいるし、
そこからスタートして結構うまくやれる人も、
もちろん、いないわけではない。

しかし、そういう残り火もそんなに長く続くものではない。
頭脳と体力に自ら限界が出てくれば、早いか、遅いかの違いだけである。
年をとってやれる仕事といっても知れているから、
過去の顔や体験を生かして財界活動をやるのが関の山である。

しかし、そこであきらめてしまわずに、
いままでと全く同じ世界でなくとも、
年をとることに抵抗して生きようと思えば、
自ずから道はひらけてくるものである。

少なくとも60歳をすぎてからの私は、
自分に定年がなかったせいもあるが、
定年になった昔のクラスメイトたちが急に老け込んでいくのをよそに、
年齢にとらわれずに仕事を継続することができた。

定年がない人生を他人の定年を気にせず頑張るか、
定年があってもそれを無視して人生を送る人は、
少なくともあと10年くらいは元気一杯の
老年期を送ることができる。

昔から中国では、9のつく年齢は転運、
つまり運の変わる曲がり角であるといわれている。
そういった意味では49歳も、59歳も人生の曲がり角である。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

とり残される気分の恐ろしさ「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
退職金や年金だけで細々と暮らしていたら、
コンプレックスなしに羽振りのいい連中と
つきあう気になるだろうか、と書かれています。

人はみんな死んでしまう。
多少、長生きしたとしても、
最終的には同じことになってしまうのだから、
死を免れる人はいない。

自然の道理であってみれば、
そんなことを知らない人はいないが、
それが自分の番にまわってくるまでに、
結構時間があるので、実際に臨むまではさほど緊張感がない。

しかし、年をとると、それだけ死に近づくことになる。
もし25歳から35歳を結婚適齢期と呼ぶなら、
65歳から75歳は死亡適齢期と呼ぶにふさわしい年齢である。

同時代を生きてきた友人の死亡記事が
やたらに新聞に載るようになると、
他人事とはとても思えなくなってきた。

自分がその仲間入りをする日が近いという実感もあるけれども、
死ぬより前に現役としての能力を失って世間から忘れられ、
「死ぬまで」もたないのではないか、と別の心配が出てくる。

人はある年齢をこえると、心身共に老衰の経路を辿るようになる。
そういうことがはっきりしているので、
定年制が設けられ、58歳とか60歳になったら、
退職金を払って会社を辞めてもらうようになったのであろう。

親しくしていた社長が辞めて、専務がそのあとをつぎ、
常務が専務になって、さらにその専務がまた社長に昇格する。
その程度の入れ替えなら親しくしていた人がまだ会社のトップを占めていて、
さして世の有為転変は感じない。

そころが、ある日気がついてみると、
会社のトップは一人もいなくなって、
全部が新しい重役さんに変わってしまっている。

考えてみれば、無理もない話で、みんな定年になったら
次々と退場するシステムになっているのに、
こちらだけが定年がないためにいつまでも頑張っていて、
とうとう一人だけ残されてしまっただけのことである。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月11日

後進を育てるのは自分自身の為「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
孔子も福沢諭吉も死んで美化されたので
自分も死ねば欠点はかくれて長所だけが
美化されて残る可能性は残っている
と書かれています。

門弟3千人といわれた孔子の弟子のなかで、
最も名が売れ、諸侯と広いつきあいを持ったのは子貢であった。
その子貢が出入りした各国の国王たちに、
盛んに自分の師匠を売り込んだ。

孔子は上へ上へと押しあげられて、
ついに聖人の座についてしまった。
「持つべき者は友」というが、
なかでも年をとってくると、若い友を持つに限る。

慶応義塾を創設した福沢諭吉にしても同じである。
『福翁自伝』は今日読んでもなお生き生きしたものであるが、
教育者には後進を育てるという教育者の面と、
学校教育を成り立たせるための経営者の面があり、
どちらもきびしいところがあるので、
ナマ身の人間としての欠点がどうしても目立つ。

その代わり、成功すれば、業績だけが残って、
人間的な欠点はその裏にかくれてしまう。

年をとってくると、判断力はまだ健在だとしても、
記憶力も実行力も、勇気でさえも、だんだん退化していく。
それを防ごうとすれば、働き盛りの人か、
もっと若い育ち盛りのなかにまぎれ込んで暮らすに限る。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月10日

有力な「弟子」の効果「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
孔子が有名になるきっかけをつくったのは、
恐らく子貢のような金もあり世間のつきあいも良かった
有力な弟子を持ったことであろうと書かれています。

個人の才能にたよる仕事に従事している人は
自分の後継者について心配する必要はあまりない。
自分の子供に才能がなければあとを継げないことが
はじめからわかっているし、自分が死ねば一代限りで終わることを
当然のこととして受け止めているからである。

その代わり自分が生きている限り、
自分の名声や地位に影が射さないように
努力をしなければならない。

物書きや画描きの職業的生命は長い。
いったん名声を得れば、かなり長持ちするが
物書きは知的な作業を伴うから、
頭脳の働きが鈍ると世間からお呼びがかからなくなって
仕事がなくなってしまう。

もっとも門前市をなすような画家や作家になれる人は
何万人に一人もいるかどうかである。
そういう人でも切磋琢磨をする仲間や友人が必要だし、
師と仰ぐ先輩も必要なら、後事を託すことのできる
若い同志も必要であろう。

とりわけある年齢に達すると、
人間は自分より若い者と親しくつきあう必要が起こる。
才能さえあれば、多少の偏屈さを
世間がガマンしてくれるものなのである。
なかでも若い人は、自分にないものを学ぼうという精神があるから、
本来、欠点であるものまで師の長所として
受けとめてくれる寛容さを持っている。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

年下のシロウトに事業を任せる「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
自分より2,30歳も若い連中と
ずっと仕事をしてきたおかげで、
自分が年をとったことをわすれておられたのだと
いうことがいえる、と書かれています。

当時の私は小説家であり、経済評論家であり、
また「お金儲けの神様」として
日本で多少は名前が売れていた。

ところが、中国人の社会に戻ると、
私はオピニオン・リーダーではなくて、
大事業家の片割れの様な顔をしなければ
存在価値すらないらしい。

台北のどまん中にビルを建てたし、
邱永漢工業区という民間で唯一の
工業団地も作ったし、次々と日本と
合弁事業を起こしたりするようになった。

気がついてみたら、私は自分より20歳も
30歳も若い部下に囲まれて仕事をするようになっていた。
私が手がけた事業はすべて私にとって新しいことばかりだったから、
私はすべてにおいてただのシロウトだった。

経営の責任者として私が任命した者はすべて私と同様にシロウトで、
その道の専門家は一人もいなかった。
クロウトだとどうしても過去の経験からくる
固定概念ばかり強くて、新機軸が出せないからである。

おかげで失敗もたくさんしたけれども、
10年経ち、20年経ってみると、
それなりに事業も大きくなったし、
シロウトだった連中がそれぞれの道の
クロウトとして世間からもてなされるようになった。
posted by 素朴な自由人 at 00:00 | Comment(0) | 邱先生の思想研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする