2017年09月29日

70歳で変わる「死ぬまで現役」観「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
70歳になってみると、
残り時間が少なくなっているし、
体力の限界も感ずるようになって、
「余生」という考えがまぎれ込んできた
と書かれています。

いつもいうことだが、どんな年寄りも
はじめからずっと年寄りだったわけではない。
すべての年寄りは65歳になるのもはじめてなら、
70歳になるのもはじめてで、
年寄りとしてはすべて新人である。

新人だから、年寄りとして経験することは
いずれも新しいことばかりで、
物珍しいこともあれば、
なれないことから起こるストレスもある。

自分たちの若い時に比べて
「今の若い者はなっていない」と
小言の一つもいいたくなる。

私自身、年をとったら、そうなることは避けられそうもない
という自覚があったから、職から退かないこと、
すなわち「死ぬまで現役」を貫くのがよいと考え、
そういう趣旨の本も書いた。

ところが、70歳の坂にさしかかると、
身体に変調をきたして、この調子では70の坂を
越えられないのではないかといささか自信を失った。

元気で駆けまわっていた間は全く気にもしなかったことであるが、
体力が衰えるのと仕事が思うように任せないことが重なりあってくると、
ずっしりと身体にこたえてくる。

あとどれだけの時間を生きて、どれだけの仕事ができるかも
考慮のうちに入れておかなければならないし、
それを中断した場合に、だれにあとを継いでもらうのか、
相続対策や法律上の手続きも、生きているうちにちゃんと
やっておかなければならない。

若い時の人生計画や働き盛りの人生計画と同じわけがないし、
晩年になってからの人生計画ともなると、
また自ずから違ったものになってくる。
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2017年09月28日

年下とのつきあいは40歳で始める「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
自分より若い人とつきあうと
年をとったことをしばし忘れることができる
と書かれています。

物書き業は世の中の動きに敏感でなければならず、
人がどういうことに関心を持っているのか、
またその関心がどう移り変わるのか、
うまくキャッチできなければ長続きしない。

もちろん、最終的には自分の才能とかかわりがあるが、
才能があったとしても世間の関心事と
大きな接点を持っていなければ、
たちまち忘れ去られてしまうものである。

そういった意味では、何十年もジャーナリズムで
不倒翁の位置を保ち続けている人は、企画からはじまって、
創作、さては販売まで自分一人でたずさわっており、
一人でオールマイティをやっているようなものである。

私は世の中の変化に人並み以上の触角を持っており、
自分の興味もそうした変化に合わせて変えてきたので、
自分も飽きずにすんだが、
世間からも飽きられずに何とかやってこれた。

その代わり、つきあう人も、友達も、また守備範囲も一変してしまった。
世の移り変わりにつれて自分の関心事も変わるので、
自分が訪問する先も、またかかわる仕事も違ってくる。

私は、若い頃、もっぱら自分より10歳も15歳も
年上の人とつきあったが、自分が40歳に達した時点で、
もう自分より年上の人の話をきいてもあまり啓発されなくなってしまった。

私は自分の仕事を45歳をすぎても次々と変えていったが、
つきあう相手は自分より年上の人から逆に年下の人に変わってしまった。
若さに溢れている人は見ていて気持ちのいいものだが、
何よりも頭脳の柔らかい分だけフレキシビリティがある。
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2017年09月27日

ちょっとした本から小説が生まれた「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
自分が本を書くには誰の助けも不要で
資料集めも自分でしかできない
と書かれています。

著作活動は一人でやれる仕事なので、
必ずしも部下やパートナーを必要としない。

私などは、多いときは16本も連載物を抱え、
月に20回近くも講演があったりしたので、
弟子が何人もいて、代筆をしたり、
下書きをしたりしていると思う人が多いらしく、
全部一人でやっているというと、とってもびっくりする。

私は対談やインタビュー以外はすべて手書きで
原稿に仕上げている。自分でやらないと、
行をかえるか、かえないか、漢字を使うか、
カナを使うか、会話で表現するか、叙述にするか、
いずれも自分で決められなくなってしまうからである。

資料集めについても助手は必要ないのです。
というのも、私がこれから書こうとすることについて、
私が何を考えているのか、
私の身近にいる人でもわからないからである。

著作活動に関する限り、
私の作業は個人的なものであり、
新しい発想をするためにも他人の発見は借りないし、
創作にしても部屋に閉じこもって自分一人だけでやるのだから、
どんな人とつきあったら、自分の商売に役に立つか、
考慮に入れる必要がないのである。
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2017年09月26日

経験に基づく発想は捨てよ「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
若い時は頭の中の空きスペースにいろいろしまい込めたが
年とともに引き出しの中がほぼ一杯になると、
逆にそれを整理して捨てる必要を感ずるようになった
と書かれています。

当時、私が推奨した株は、大半が創業者社長によって
経営されている成長企業であり、
会社の社長さんたちは年齢的にやっと45歳に達したか、
達しないぐらいだった。

というのも、脱サラをして創業する年齢は、
大半が30歳から40歳までの間であり、
そういう人が事業に成功して
同業者の間で頭角を現すようになるまで、
ほぼ10年の歳月が必要だった。

その人たちの苦労話や経営哲学をきいて私はとても啓発された。
もちろん、一芸に秀でた人たちだし、
それぞれユニークな環境に育ち、独特の人生哲学と
個性を持って生きている人たちだった。

しかし、一人一人を子細に観察していると、
その人たちの専門分野についてはともかく、
それ以外のことについては必ずしも博覧強記とは限らず、
頭の回転も抜群というわけではない。

それでいて、ほとんどすべての人に共通の特長があった。
それは、人のいうことによく耳を傾けるということであって、
今まで自分が知らなかったことであっても、
なるほどと納得すると、
その瞬間からその人の血となり肉となってしまう。

私は、そうした人々の素直さや実行力にすっかり敬服して、
人が成功するのは決して偶然ではないという思いを新たにしたが
逆に「センセイって面白い人ですね」と私と親しく
つきあうようになった人も多かった。

あとになって考えてみると、
当時、自分より10歳とか15歳とか年上の人々の知恵や経験は、
私にとって役に立つものであった。
しかし、逆に私が役に立つと思ってくれた人々は、
事業家としては成功路線を走っていたが、
その独創性や知恵においては、そろそろ飽和点に達していた。

自分らより経験にとらわれずに、
自由奔放に発想できる若い人からのエネルギーの吸収を
その人たちは必要としていたのかもしれない。
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2017年09月25日

30代半ばが充実のとき「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
自分をふり返ってみても、アイデアに独創性が意識できたのは、
20代の後半から30代終わりまでで、
とりわけ花ひらく感じがあったのは30代半ば頃までであった
と書かれています。

若い頃、私は自分よりずっと年上の人とつきあった。
きっと知能的に早熟だったからであろう。

実際には大した知恵や才能があったわけではないが、
机を並べているクラスメイトとは話があわず、
すでに社会人になっている人々の言うことなら
耳を傾けることができた。

それは私の知能程度がオトナのそれに
近かったからというよりは、
私の知識欲が旺盛で、背伸びしていたから、
とみた方が正しいだろう。

私は、自分より10歳も15歳も年上の社会人とつきあい、
その人たちの発想に学び、オトナの考え方に
早くから溶け込んでいった。

そのせいかどうかは知らないが、
頭を働かす分野の仕事には興味を持ったが、
体力で勝負をするスポーツやゲームには
とても馴染めなかった。

そういった意味では、体力とあまり関係のない分野に興味を持ち、
かつ仕事もそういう分野から選んだおかげで、
年をとったからといって手に負えなくなったと心配する必要はない。

ただし、年をとったら、経験を積んだ分だけ賢くなるというのも嘘で、
人間の才能は思い切って開花する年齢があるように思う。
先入観にとらわれず独創的なアイデアを生むのは、
多分、30歳になるまでの5年か10年くらいだろうし、
経験を積んで賢くなっただけ経験を事業や学問に活かせる年齢は
せいぜい50歳までであろう。
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2017年09月22日

自ら助くる者を助く発想を「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
危機感はいつの時代も
溌溂と生きるための原動力であると
いって良いだろうと書かれています。

厚生年金や国民年金も、
基本的には同じ路線上の救済制度である。

しかし、年をとる人がドンドンふえていくとすれば、
救済してもらいたい人のほうが救済する人よりも
多くなることは目に見えている。

従って将来、受けとるであろう年金で老後を暮らすことは、
今日想像しているよりもずっと
条件が悪化すると覚悟しなければならない。

もしそうだとしたら、年金をあてにして老後を送るよりも、
年金など頭から払い去って、老後をどう送るかを考えた方が
実際的ではあるまいか。自らをそういう立場において、
これからの人生を送ることにしたら、
ぼやぼやしているわけにはいかないから
どうしても気持ちを引き締めて対策をとるようになる。

年金に期待しないとなれば、
老後の準備は自分でしなければならなくなる。

その緊張感たるや厚生年金を収めている人とは
比べ物にならないから、結果として年金以上の準備が
いやでもできてしまう。あなた任せでやる人と、
自分でやる人の違いが自然と生じてくるのである。

もしかしたら年金だけで暮らしせなくなるかも知れない
という心配が出てきたことも、
これから生きていく上での大きな刺激になるのである。
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2017年09月21日

危機感が若返りの原動力「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
日本は戦争で生命を失うこともなく
福祉制度が充実したことで
人々は国に面倒を見てもらえることになった
と書かれています。

歴史書を繙くと、
人類の歴史はほとんどが戦争の歴史である。
あんまり戦争ばかり続くので、
お互いに休戦期間を設けて時々骨休みなどしているが、
目のさめている間は相手を滅ぼすために
全精力とお金をつぎ込んできたのではないかと
思いたくなるほどである。

一戦を交える度に何千、何万という犠牲者を出してきた。
もっとも、戦争だけでなく、人生そのものが
多くの危険や不安に晒されている。
伝染病も多かっただろうし、
天災地変や飢餓で死ぬ機会も多かった。

そういう時代と比べると、今の日本人は
戦争で生命を失うチャンスからかなり遠ざかった。
医学の発達によって男女共、うんと長生きするようになった。

なかでも特筆大書すべきは、社会全体が豊かになってゆく過程で
福祉政策が急テンポで充実されたことであろう。
失業保険や健康保険もすっかり定着したし、
厚生年金や国民年金も、依然としてかなりも問題を抱えているが、
老人にたちにとってはとっても頼りになる制度になっている。

つまり福祉とは、昔なら家族や町内会が面倒を見ていた人々を、
国民から税金を取り立てて国で抱え込むことにほかならないのである。
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2017年09月20日

自分の実力で運を呼び込む「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
サラリーマンの権力は地位に付随したものであって、
個人に付随したものではないことがわかる。
人生の終着駅点になってからではなく、
もう少し早い時点でそのことに気づくことは
決して悪いことではないと思う、
と書かれています。

最近、テレビや新聞を見ていると、
台湾の新竹というところにある科学技術工業団地が
アジアのシリコン・バレーとして
よくとりあげられるようになった。

事情を知らない人は、何で台湾の片田舎で突然、
世界の技術のトップを行くような産業が誕生したのか、
首をかしげてしまうに違いないが、
これも台湾人の幸運より悲運がもたらした
意外な結果といって良いだろう。

ご存知のように、台湾は中華人民共和国が成立して以来、
いつ中共に占領されてしまうか、不安におびえながら、
毎日を過ごしてきた。台湾の親たちは自分たちはとかくとして、
せめて子供たちの自由を守るために、
さまざまの制限をくぐり抜けてアメリカに留学させ、
卒業してもアメリカにとどまるように仕向けた。

台湾の経済発展が進み、民主化も軌道に乗ってくると、
アメリカ企業から脱サラをしてベンチャーを試みる連中が
少しずつ台湾に帰りはじめた。

最初は小さなスケールからスタートし、
半導体専用の工業団地に小さな工場を建てて、
試行錯誤をくりかえしたきたが、
パソコンの普及と共に、あっという間に一大成長をとげた。

これまた人生、何がどこで幸いするかわからない
好例といってよいであろう。
もちろん、この逆の例にも事欠かない。

不運を何回となく経験したことのある人なら、
覚悟はできているだろうが、
組織の枠からはみ出したことのない人にとっては
たいへんなショックであろう。

しかし、そういう思いがけない出来事に遭遇すれば、
人は自分の実力をいやでも思い知らされる。
毎年、5百通の年賀状をもらっていた人が
職を離れた途端に七通に減ってしまったという話を
どこかで聞いたことがある。
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2017年09月19日

実力があっても運には勝てない「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
「人生万事塞翁が馬」というけれど、
不運がいつまでも不運であるとは限らない、
何が幸運かは、最後になってみないと
わからないと書かれています。

人生には時々、思いがけないことが起こる。
それというもの、嬉しいことや良いことは
予定の中に組み入れられていることが多く、
自分の人生の目標だったり、
努力目標だったりしていることが
大願成就しただけのことであるが、

思いがけないことは、平坦な人生行路にきびしい試練が
突然襲いかかったことのほかならないからである。

どんな一生を送って、どんな死に方をするかは、
人それぞれに違う。波乱万丈の一生もあれば、
平々凡々の一生もある。

不景気のために志望していた一流企業に就職ができず、
三流と思って渋々、就職した無名の会社が
うまく時流に乗って、いまをときめく成長企業となり、
たちまち出世街道を歩むようになった幸運の持ち主もたくさんいる。

しかし、時代が変わると、成長する企業と
成長のストップする企業が入れ替わるし、
世間の評判も変わってくる。

たまたま自分が選んだ職業に陽が当たりはじめたら、
たちまち脚光を浴びるようになるし、
それが好きで選んだ職業なら、
世間の評判がどうであろうとも、
そこに生き甲斐を発見でさえすれば、
それで充分報いられたことになるのである。
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2017年07月28日

定年後も元気で留守がいい「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
夫婦生活が成り立つのための条件は、
色恋以外のところにある
と書かれています。

年をとってくると、性欲も衰えをみせるから、
色事からは次第に遠ざかるようになる。
老人は一般的に、色恋には淡白なものだと
世間では思っている。

しかし、大岡越前のおふくろさんが息子にきかれて、
火鉢の灰を指して「灰になるまで」と言った故事も残っているし、
私たちの周囲ではその実例に事欠かない。

人に年齢があるのも事実だが、
それよりも恋そのものに年齢がある。
どんな激しい恋でも、逢瀬を重ね、慣れが生じ、
時間がたつと、だんだん熱がさめてくる。

もし恋の成就を目指して結婚するとしたら、
そこに至る期間があまりにも短く、
次に目立つのは相手の欠点だけということになってしまうから、
結婚生活が長持ちするわけがない。

相手もそれにガマンができないとなれば、
既存の結婚制度は崩壊するよりほかなく、
離婚が激発するようになったのは
決して偶然の出来事ではないのである。

結婚生活が長持ちするには、
惚れたの、はれたのが消え失せてしまっても
立派に成り立っていくだけの条件を備えているか、
あるいは、それを長持ちさせる努力を
お互いにするのでなければ長続きしない。

なぜなら、どんな仲の良い夫婦でも、
歳月がたてば、情熱も褪せるし、
お互いに年もとってしまうからである。
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2017年07月27日

未知の感覚を積極的に取り入れる「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
情熱を燃やし続け、パイオニア精神を
忘れないためには、いくつになっても
新しい体験のチャンスを持つように心掛けることである
と書かれています。

若さの秘密は旺盛な好奇心と、
思ったことはすぐ実行に移すバイタリティーであろう。
すべての若い人が同じようにそういった
バイタリティー精神をもっているわけではないが
同じ人間なら若い時のほうがたくさん持っていて、
年をとるに従ってだんだんすり減らしてしまう性質のものである。

そのためにはどいういう工夫をしたらよいかが、
年をとる過程で心すべきことである。

先ず人間が一番刺戟を受けたり、
興奮させられるのは、未知の世界にはじめて接する時、
また何事もはじめて経験する時であろう。

私は年間を通して世界中を旅行しているが、
十三歳の時はじめて母親に連れられて
台北高等学校の校舎を下検分に行った時ほど
印象に残っていることはない。

また高等科一年生の夏休みに、
はじめて台湾から内台航路の船に乗って
日本内地に旅行に行った時も、
大きな汽船に乗るのははじめてだったし、
神戸、大阪、京都、東京と地理の教科書では習ったが、
生まれてはじめて見るそれぞれの都市に
すっかり魅せられてしまった。

「馴れは好奇心の最大の敵」だから、
日常生活の中に次々と新しい発見をするか、
新しいものを探してそれを生活の中に取り入れるか、
でなければ、新しい体験をするチャンスを
自分でつくるかしなければすぐに退屈してしまうのである。
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2017年07月26日

パイオニア精神を百までも「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
情けにはタイミングとテクニックが必要と
書かれています。

時代が変わると、長く人口に膾炙してきた
諺も受けとられかたが違ってくる。

たとえば、「情けは人のためにならず」というのは、
私たちが子供の頃は、人に情けをかければ、
それがめぐりめぐって自分のところへ戻ってくる。

また情け深い人という評判が立てば世間の受けがよくなり、
結局は自分の得になる、という意味であった。
だから、人には情けをかけなさい、とすすめる諺だったのである。

ところが、因果応報が通用しない世の中になると、
情けをかけても有難がってくれないばかりでなく、
逆効果をもたらすことが多くなった。

私など金繰りに困った友人が駆け込んできて
何とか助けてほしいというので、
銀行に紹介して長期分割払いでお金が借りられるように
お膳立てしてあげたことがある。

私が紹介をしたのだから、銀行から保証を要求されて
やむなく保証人になったが、限度額一杯お金を借り出すと、
一回目の返済をしただけで、あとはおっぽり出してしまった。
銀行から内容証明が来て、やむなく私は全額を弁償した。

借金に追いまくられてお金を貸してくれと頼みに来た人に
お金の用立てをしてあげても焼け石に水だから、
本人の手元には一文も残らない。
むしろ倒産する時は不人情なようでも
倒産するに任せておいたほうがよい。

もしどうしても本人を助けたいと思うなら、
倒産して誰も相手にしてくれなくなり、
生活費にも事欠くようになってから、
救いの手を差しのべたほうがいい。
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2017年07月25日

ベテランこそが生きる仕事場「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
いままでの経験を生かすことなら、
五十歳から再出発しても遅すぎることはないのである
と書かれています。

人は新規蒔き直しをやるといっても、
いままで茄子の種を蒔いていたのが
胡瓜の種に代わるくらいのことがあっても、
百姓をやっていたのが突然、海に魚を採りに行くような
百八十度の転換はできないものである。

成功できる、できないは別としても、
人はそんなに遠くまではいけないものである。

まして四十歳、五十歳となれば、
いままで働いていた分野か、その周辺で
網を張るよりほかないものであり、
またそうでなければ、成功の確率はうすいのである。

それでも時代が変われば、
商売のやり方も違ってくるし、お客も、
お客の欲しがる商品も違ってくる。

そういう変化のプロセスで新しいスキマがでてくれば、
そこを埋め合わせる新規事業が成り立つようになるのである。

新しいチャンスは四十代、五十代に
わかりにくい分野にだけあるのではない。
国全体が大きな変化に曝されているために
日本国内における人員整理を促しているのが現状である。

メーカーの生産基地も大移動をしている最中で、
日本国内でアッセンブルをする代わりに、
中国大陸か、マレーシアでそれをやるとすれば、
現地で指導する駐在員が必要となるであろう。

日本の産業界全体が国境をこえて新しい方向を模索しているところだから、
いままでの経験を生かす方向を一つの会社、
一つの地域にこだわらないで実験してみることである。
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2017年07月24日

経験を生かす方法を考える「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
人によっては組織の中で力を発揮する人と
組織を出ても力を発揮できる人とがある
と書かれています。

人間は自分の人生のどこかの時点で
壁にぶち当たることがある。
その時期が二十代か三十代なら、
もう一度、新規蒔き直しをやるとしても、充分時間がある。
ところが、その時期が四十代、
あるいは五十代ということになると、
失敗は許されない。

最近はそういう年齢になってから、
新規蒔き直しを強いられる人がふえている。
隣の畑でもうそろそろ実がなる時期に
もう一度はじめから種蒔きをはじめるのでは誰だって不安になる。

といって時計の針を逆に廻して若返ることもできないし、
このまま何もしないわけにもいかないから、
その人の能力範囲内で努力をするよりほかない。

組織の中で仕事をしてきた人は、
組織の中にどっぷり浸かってきた分だけ
ものの考え方も仕事のやり方もマンネリ化している。

組織からはみ出すことはマンネリから脱却する絶好のチャンスである。
しかし、マンネリから脱却するといっても、
サラリーを払って仕事をする立場の人と、
サラリーをもらって仕事をする人とでは、仕事のやり方が違う。

月給日が来るのを心配しないですんできた人は経営には向いていない。
仕事がはかどらないうちに、月給日はすぐにも来てしまうものだからである。

だから、組織の中でサラリーをもらって働くことに慣れた人に、
組織を離れて独立自営しなさいとは、私はあまりすすめない。
たとえその人がお金を稼ぎ出す能力のある人でも、
「組織の中の人」というのがあるものである。
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2017年07月14日

恐がらずにチャンスに挑戦「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは
失敗も成功も新しく経験するものには
それなりの新鮮さがあるので
それを怖がらずに生きることが
人生だと思っていると書かれています。

各企業が生き残るためにリストラに全力をあげなければならなくなるので、
人件費をカットするための人減らしが先行する。
さしあたり白羽の矢が立てられるのが、
これから働き盛りにさしかかる五十歳前後の中堅幹部である。

所定の退職金以外に割増金をつけてくれる、
そういう条件を提示されて、この際、
思い切って第二の人生を歩もうかと、
それに応じて会社を辞めるサラリーマンは
決して少なくないはないのである。

景気の低迷が長期化すると、
どんなサラリーマンも、自分がそういう立場に
追い詰めれらた時のことを想定しないわけにはいかない。

ふだんから「自分にできることは何か」
「どんなことをやれば、仕事ととして成り立つか」
「それを実行するために、どれくらいの資金が必要か」
「どんな人の協力を必要とし、また誰と誰を部下
もしくはパートナーに持つことができるか」
絶えず構想を練り、また準備することになる。

会社を辞めるのをしおに、独立自営に転ずるのは、
転職するのに比べれば勇気のいることである。
それを実行するには、体力も気力も充実した年齢にこした事はないから、
四十歳前後が適当と私は考えている。

私の場合は若いときからそういう挑戦をくりかえしてきたので、
五十歳の時も、六十歳の時も、それが苦になることはなかった。
いつも新しい仕事を一から始めたので、
新しい失敗に見舞われたし、その度に新しい勉強をすることになった。
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2017年07月13日

五十歳からの脱サラでも新鮮さはある「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは、
日本は社内失業と人員整理の時代を
迎えてきたので40歳で人に使われる人生は
卒業するのがよいと書かれています。

人生50年と言われた時代に比べると、
人間、信じられないくらい
長生きをするようになったのだから、
社会制度やライフ・スタイルも当然
昔のままでは通用しなくなる。

人生五十年の頃の定年は五十五歳であったが、
平均寿命が延びるにつれて定年も少しずつ延長されて、
五十八歳、更には六十歳になった。

しかし、平均寿命が七十歳から七十六歳まで延びると、
六十歳でもまだ元気溌剌という人が多いから、
再雇用を要求する声が主として労働組合から起こった。

経済が成長を続け、企業が人手不足で猫の手も借りたがった頃は、
こうした要求が耳に入りやすかった。
それでも定年延長がなかなか実現に至らなかったのは、
企業の経費負担が増えることをおそれたからであった。

そうこうしているうちに、バブルがはじけて、
社内失業と人員整理が産業界を覆う新しい傾向になってしまった。
そのうえ、円高で日本企業がアジアへの工場移転が始まれば、
定年を延長するどころか、定年前に早期退職を進める動きが出てくる。

つまり人間の生きている時間は、医学の発展と共に延長されたのに、
社会が人間を必要とする時間は逆に短縮されつつある。
もし自分の人生を自分で拓く代わりに、
風の吹くまま、波の動くままに任せておいたら、
定年どころか、人生五十でお払い箱になってしまうのである。
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2017年07月12日

第二の人生は四十歳から始める「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは、
サラリーマンは四十歳で自分の首を切ることを
提案すると書かれています。

私はいっそ人生を二つに割って、学校を出て会社勤めをしたら、
四十歳で一応、定年にして、あとの四十年をどうするかは、
四十歳になった時に決めることにしたらどうだろうかと提案した。

二十何歳で就職をする時は、人生の西も東もわからないし、
自分のどんな職業が向いているかだってわかる筈がない。
入社した会社がたまたまいい会社で、
ここは自分の一生の仕事場と納得できればよいが、
会社の気風に合わないと思う人もあろう。

自分で世間も知り、自分の才能や実力や
好き嫌いを心得るようになるには、
少なくとも社会に出てから十年や十五年は必要である。
つまり男として一人前になり、
そのピークに達するのは四十歳くらいだから、
そこで退職金をもらい、サラリーマンにケリをつければよいのである。

四十歳で一応クギリをつけて、
第二の人生をスタートさせるようになると、
あとは定年制のない人生が待っている。

四十歳すぎてから選んだ職業が定年とかかわりがなければ、
働きたい間、働くことができる。そういうスタートを切るのに、
四十歳は「かなり経験も積み」「多少の貯蓄もでき」
「創業する意欲も、困難に立ち向かう気力もある」
ちょうどよい年齢である。
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2017年07月11日

定年は六十歳より四十歳で迎えたほうがいい「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは、
第二の人生をはじめるには
六十歳では遅いと書かれています。

サラリーマンをしている人なら、
五十五歳から六十歳で定年を迎える。
平均寿命が延びると同時に定年を
もっと延ばしてくれという要望も強くなっている。

しかし、年功序列給が普及している日本では、
高年齢層の高い給料は企業の負担になっており、
給与システムをそのままにして定年だけを
先に延ばすことに会社側が難色を示している。
会社は退職金だけでも、大へんな負担をすることになる。

サラリーマンにとっては、仮に規約通りに退職金をもらえたとしても、
不都合なことがある。一つは先ず退職金はいつの時代でも
老後の生活を支えるには不充分だということである。

三十年前に私は、「退職金は老後に必要なお金の
三分の一しかもらえないから、あと三分の二は
自分でつくらなければならない」と書いた。
それはいまも基本的に少しも変わっていない。

従って定年退職後も悠々自適というわけにはいかず、
何らかの収入の道を講ずる必要に迫られてくる。
定年が近くなると、そういう不安が身近に押し寄せてくる。
男の厄年は五十五歳だといったもの、そういう意味合いからである。

二つ目は六十歳になってから退職すると、
死ぬにはまだ早すぎるし、新規の事業をはじめるには遅すぎる。
会社の嘱託でもやるというのなら別だが、
全く新しい仕事をはじめるとなると、
体力も必要だし、気力も必要である。
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2017年07月10日

待てば海路の日和は通用しない「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは、
選挙に落選した後に文壇に返り咲くために
必死の努力が必要であったと書かれています。

先ずはこういう失意の時は、座して新聞雑誌から
座敷がかかるのを待っていてはいけないと思った。

私は三十一歳の時に直木賞をもらって文壇にデビューし、
もう四半世紀もジャーナリズムで生活してきたので、
自分の方から売り込みに行かなくても手一杯の仕事があった。

私の場合は幸いにも、いつも時代の先端を走ってきたので、
原稿の注文が絶えたことがなかった。
その代わり書き物の中身も次々と変わり、
小説書きからいつの間にか「金儲けの神様」に鞍替えをし、
ハウツウ物から食べ物エッセイや文明論まで
幅広い守備範囲をこなしてきたので、
私が小説書きであることを知らない人さえあるようになった。

選挙で失敗した直後は、ここでそのまま忘れ去られるか、
それともそこを跳躍台として一段と高くとぶかの瀬戸際に立っていた。
私としてはとにかく世間から注目をあびる文章を書いて
天下にデモンストレーションする必要があった。

私は先ず「香港の挑戦」120枚を書き上げて自分で中央公論社に持ち込んだ。
また「実録−海外投資」120枚を書き下ろし、中央公論社の経営問題特集に持ち込んだ。
続いて「経済一等国・日本」100枚を書いて、これはプレジデント社に持ち込んだ。

以上3篇はいずれも100枚をこえる中篇であり、
かなり読みごたえのあるもので、
しかも雑誌記者の方が依頼に行く立場にいる作者が自分で書いて
自分のほうから雑誌社まで持ち込んできたから、
いずれも社長さんたちから鄭重に扱われ、すぐに雑誌に掲載された。

四十二歳の厄年の時はある日、突然、厄明けが来たが
五十五歳の厄年の時は必死の努力が必要だった。
定年前の厄は選択を伴う転換期だから、
待てば海路の日和ありという具合にはいかないような気もする。
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2017年06月30日

再起不能のジンクスに挑戦する「鮮度のある人生」邱永漢

邱先生はここでは、
選挙で落選したら再起不能になるとのジンクスを
落選した後に聞いたが、文筆家として再起をはかり、
それを成功することでジンクスをやぶると書かれています。

私のような文筆家で、しかも日本籍でなかった者が急遽、
日本籍に移って立候補することは滅多にないことであったから、
ジャーナリズムの話題になった。その代わり立候補すると同時に
私は自分が連載中の文章を除いて、すべての新聞雑誌から締め出された。

少なくとも選挙中は、ジャーナリズムを
個人の選挙運動に利用されるのをおそれてのことであるが、
政治家に対してジャーナリズムが抱いている敵意が
いかに強いものであるかを改めて痛感させられた。

議員さんの中にも、文章書き出身の人が何人かいるが、
政治家になったら、文筆業と二足のわらじを履くのは
難しくなるのが通例である。政治家になりそこなった者に至っては
もっとずっとひどい目にあわされる。
大抵がジャーナリズムから消されてしまうものだそうである。

私の場合は物書きとして売れなくなったから
参議員になりたいと思ったわけではない。
だから、選挙に敗れても、このまま駄目になるとは思わなかったし、
またそうなるものかと却って闘志を湧かせた。

選挙のあと「残念でしたね。私はセンセイに投票したのですよ」と
通りかかった人にあいさつされた。私は思わず直立不動の姿勢になって、
「ありがとうございました」と最敬礼をした。
自分の人生でこの年になるまで、こんなに人に頭を下げたことがなかった。

人間として生きていく上で人様に恩を受けたことはこれまでも度々ある。
その恩に感謝することも、その恩に報いることも当然のことである。
しかし、一票の恩ということになると、電信柱にも頭を下げなけらば
ならない半面、受けた恩を負担に感じないだけの図々しさがなければ、
とても政治家は務まらないだろう。
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