2016年04月05日

アクションを継続するためには・山口絵理子トークイベント

会社を立ち上げてそれを
継続させるには3つのハードルが
あると山口さんは紹介されました。

最初は自分の夢を見つける事です。
これはなかなか難しいことで
山口さんはバングラデシュでの
学生生活で見つけられました。

二つ目は具体的にアクションを起こすことです。
山口さんはバングラデシュで
危険地帯ともしらずに工場を回られたようです。

三つ目はアクションを継続する事です。
企業として経営をするにあたって
働いている人が重要となります。

バングラデシュの人々ががんばっているから
日本のみんなも同じように頑張るべきとか
自分はこんなにやっているので
みんなも同じ気持ちでとか自分の考えを押し付けることで
従業員が辞めていったことで
考え方を変える必要が出てきました。

企業が継続するかどうかには
3年目の壁というのがあるようで
従業員がどんどんやめたときは
これがそうかと思われています。

また、働きがいを見つけるには
自分の仕事が何につながっているかを
理解する事が大事な様です。

マザーハウスの製品を作ることは
その先にそれを買ってくれるお客様が
おられることに気がつく事。
販売の面からは自分が販売することで
発展途上国の発展につながっていると
気がつくことがやりがいを生み出します。

自分の仕事が役に立っているという自覚が
やりがいにつながるということでしょうか。
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2016年04月04日

どうやって企業を立ち上げたか・山口絵理子トークイベント

新興国では学校を作ることが
大事と思われがちです。

バングラデシュでも1km毎に
学校があるようで、学校ビジネスは
とっても良いと思われています。

しかし、山口さんが通われていた大学院では
授業の休憩時間に大学院生が
パソコンに列をなしてジョブサーチをしていて
みなさん当然ながら頭を使う仕事を
探しておられたようです。

山口さんは論文作成のために
チッタモン大学というところの
卒業生の卒業後の進路を調査したところ
数名の方が人力車で働いている事が分かりました。

せっかく勉強した知識が
お国のために役立てることが出来ないのは残念で
学校より仕事を作る事の
重要性に気がつかれたようです。

しかしバングラデシュの仕事というと
世界の工場となっている中国より
安く製品化する事が必要で
そのためには機械より安く働く必要があります。

一方バングラデシュはNGO大国と言われていて
フェアトレード製品をたくさん作っています。

しかしそのフェアトレード製品を
かわいそうだからといって購入してくれたとしても
つづけて使ってくれるとは
思えないように感じられる製品でした。

そんな時に黄麻(ジュート)に出会って
皆が自慢する天然素材であるので
それを使ってバッグを作ろうと
考えたことが企業化の始まりとなっています。
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2016年04月03日

『裸でも生きる』山口絵理子トークイベントに参加

山口絵里子さんの『裸でも生きる』を読んだのですが
本の中に挟んであったトークイベントの
案内を見て申し込んで東京にやってきました。

山口さんはバングラデシュで大学院に通いながら
三井物産でアルバイトをしてお金を貯めて
バッグを作ってそれを日本で販売する事から
MOTHERHOUSEというブランドを立ちあげた方です。

会場の近くにやってくると
看板を持った女性の方が出迎えてくれました。
IMG_1028.jpg

会場には500名くらいの方が来場されていて
最初にクーリエ・ジャポンの方のお話があった後に
山口さんのお話が始まりました。
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山口さんは今回のイベントでは
どうやって今のブランドを立ち上げたのか
いま何を考えているか、ビジョンは何かについて
お話をされました。

山口さんのターニングポイントとしては
バングラデシュの大学院に2年間いかれた事と
お話を始められました。

大学4年の就職活動のときに
どんな企業が自分に合っているのか
如何して働くのかという所でつまづいたそうです。

人間には絶対できると思ってものごとを始められる人と
自分いはできない不安であるから動こうとする人の
二種類のタイプがあって山口さんは後者と言われました。

また、働く意味も分からない、自分自身もない
なんの軸もない自分を見つけるために
2年間のバングラデシュでの大学院生活に入られました。

そこで感じられたのは
アジア最貧国であるバングラデシュで
大学院に来られている方々は
生きる力が日本人よりも強いということです。

大学院に来るためには親戚からお金を集めて来ているので
少々のことがあっても学校を休むことはないようで
洪水で外出できないような状況でも
船が出るのでそれに乗って通学する学友に
驚いたようです。

いまの日本は裕福な国になっているので
想像できないのでしょうが
戦後まもないころはバングラデシュと
同じ感じで生活をするために
みんなががむしゃらだったのではと思います。

それがバングラデシュでは
みんなが生活のために必死で働く
という状況になっているので
印象深く感じられたのでしょう。
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2016年01月31日

「あと2年! サラリーマン定年までにしておく15のこと」江坂彰

PHP研究所から発行されている
江坂さんの本をよんだのは
ずいぶん前になると思います。

本棚にあった本を
このたび再度手に取って
読み直すことにしたのですが
理由はいよいよその時期が近づいてきたからです。

本の中から気になった部分を
抜き出してみたいと思います。

一つ目は「定年後は妻と二人生活が
基本スタイル」の部分です。

定年後は会社にはいかなくなるので
家で過ごすことになりますが
その時のあいては家内となります。

しかしその相手が気持ちよく
付き合ってくれるかどうかは
分からないのが現状となっていて
結婚した3分の1が離婚する状況ですので
定年と共に三下り半を突き付けられる
可能性もないとは言えません。

そうならないようにするには
定年前より奥さんを大事にするように
心掛ける必要があるようです。

家で奥さんと二人暮らしになると
四六時中顔を合わせることになるので
問題が発生する確率が高くなります。
そこで、江坂さんは4割ぐらいの時間は
外出する事をお勧めされています。

二つ目は「熱中できる趣味を最低二つ」で
長い会社員生活では
忙しくてなかなか趣味に時間と
お金を割くことはできないので
定年になった時に趣味がない人が多く
時間を持て余してしまう様です。

そのためには定年前から
自分が子供のころとか
若くてお金がなかったじぶんに
やりたくてもやれなかった事を思い出して
それを定年に向けて始めることが必要となります。

私の場合はお休みに出掛けた
カフェとかレストランの写真とか
旅行の写真をブログに書いたりすることが
その一つになりそうです。

三つ目は「旅は定年後の必須科目」です。
旅の効果としては日常からの脱出が出来ることで
海外旅行に年1回出向くとか
月に1回は一泊でも日帰りでも
小さな旅をすることが定年後の
生活の知恵と書かれています。

旅行は奥様と一緒でもいいのですが
毎回そうする必要もなく
一人旅も自由気ままで良いでしょうし
何かの仲間の方との旅行も良いと思われます。

定年後からさあ始めようと思うのではなく
まじかになったその時から
新しい生活に向けた準備をしておくことが
上手く定年後の生活に着陸する方法ということと思います。

あと2年.jpg
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2016年01月30日

「冒険に出よう」安藤美冬

「冒険に出よう」という
本の題名をどこで見かけたのかは
忘れたのですが気になっていたので
本屋に出向いて購入しました。

本は喫茶店で一気に読んでしまったのですが
内容としてはいったん就職してから
30歳で独立した筆者が
最初の会社での働きぶりと
いかにして一歩を踏み出したかを
紹介した内容となっています。

最近の日本人はだんだんと
内向きになっており
自分で自ら動くことが出来にくく
なっていると言われています。

また長く会社員をやっていると
自分から新しく仕事を見つけて
起業する事はなかなかできるものでは
ありませんが定年になれば
いやでもそんな環境におちいります。

安藤さんの場合は
ソーシャルネットワークを
活用して自分の意見を発信することで
フォロワーを増やして行き
それらのご縁で仕事を得ることが出来たようです。

また会いたい人をリストアップしておくこと
たくさんの方に積極的にあいに出向くことを
心掛けられたようです。

そんな場で思いがけず
会いたかった人に出会うことが出来たりして
それがきっかけで新しい展開となっています。

じっとしているとあたらしい事は
生まれませんので勇気をだして
一歩踏み出すことが必要というでしょう。

冒険に出よう.jpg
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2015年12月24日

社長室にいない本田宗一郎

本間日義さんの「ホンダ流ワイガヤのすすめ」で
目に留まったのが本田宗一郎さんの写真があるページです。

そこには工場でしょうか
地面に3名ほど座っていて
本田さんはチョークで何やら書いて
現場の人に説明している写真です。

ホンダには三現主義という考えがあります。
三現主義とは、ものごとを考えるにあたっては、
「現場に行くこと」「現物(および現状)を知ること」
「現実に向き合うこと」を重視する考え方です。

本田さんはこの考え方をとっても大事にされていて
自ら実行されていました。

本田さんは社長室にこもっていることはほとんどなく、
いつも工場や研究所などに足を運んでおられて、
開発中の車体やエンジンなどの現物を見ていたそうです。

本間さんも還暦を過ぎた本田宗一郎さんが
研究所の中を歩き回っている姿を
よく見かけたと書かれています。

本田さんにとっては現場にいるときが一番幸せな時間で
社長室で経営の数字とかを見るのはお嫌いだったのでしょう。

本田さんが非常に大切にされて
しかも自ら実行されていた
三現主義は我々も見習う必要がある態度と思います。

得てして現物を見ることはせずに
机の上だけでああでもないこうでもないと
思案もめぐらすだけの人もいますが
やはり現物を見てやってみて
軌道修正する事が必要ではないでしょうか。
ホンダ流ワイガヤのすすめ.jpg
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2015年12月23日

本間日義さんが見た本田宗一郎

本間さんの書かれた「ホンダ流ワイガヤのすすめ」は
もちろんワイガヤの解説ですが
途中にホンダの創業者の本田宗一郎さんに関する
記述があるので見逃すことができません。

本間さんは、ホンダの創業者である本田宗一郎の存在も、
ワイガヤとは切っても切れない関係にあると書かれています。

本田さんは優秀な企業家であることは
だれでも知っているが、天才的はアイデアマン
というわけではなかったと書かれています。

この記述は本田さんの思想研究家としては
本当かなと首をかしげてしまいますが
本間さんによると、本田さんは「こうしたい!」という
自分の想いを熱く周囲に伝えるとこで知られていた様です。

その例としては1958年にF1参戦を決めたときのエピソードで、
「できるかできんかは俺にはわかんねえけど、俺はやりてえよ!」
という本田宗一郎の言葉に、技術者たちは心を動かされ、
奮起した結果、F1に参加して、7年後の初優勝につながったのです。

本田さんは、本田技術研究所で年に一度
全研究所員の前であいさつをされたようですが、
それは本田宗一郎の夢と想いと感情に終始し、
ライブ会場の様な雰囲気になったそうです。

よくホンダの夢といわれます。
最近ではジェット機をホンダが作って
本田宗一郎の夢が叶ったと表現されています。

たくさんの夢を本田さんは持っておられて
それを従業員の皆さんい熱く語ることで
従業員皆のベクトルを合わせることで
社業の発展につなげられたのではないかと想像します。
やはり偉大な人だったと思います。
ホンダ流ワイガヤのすすめ.jpg
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2015年12月22日

本間日義さんの「ホンダ流ワイガヤのすすめ」を読んで

ホンダに関する書籍を見つけると
ついつい手に取ってしまいますが
本間日義さんが書かれた
「ホンダ流ワイガヤのすすめ」を読みました。

本間さんは1949年生まれの様ですので
66歳と思いますが60歳で退職されて
現在はR&D HOMMAの代表となっています。

さて本の中身ですが、
なぜ今ワイガヤなのかということと
ワイガヤが新しい価値を生み出す理由
などについて解説されています。

ワイガヤというとホンダに関する書籍を
読んだことがある人は聞いたことがあると思いますが、
ホンダの伝統的なコミュニケーションツールです。

新しい何かをつくりだすときに一人で考えていても
中々アイデアは広がりを見せないと思いますが
何人かが集まって話をすると
一人では考えもつかなかったような
独創的なアイデアにたどり着くことがあります。

日本には優れた技術はたくさんあるのでしょうが
それを有効に使用して独創的な製品を
生み出すことが出来ないでいます。

i−Phoneにしてもほとんどは日本の技術で
出来ていると聞いたことがありますが
今の日本人はコンセプトを考えることができません。

そこで新しい価値を生み出すツールとして
今ワイガヤが必要と本間さんは言われています。
しかしそこには自分の考えを持って臨むことが
必要とも言われています。

本間さんはシティーとかフィットの車づくり時に
経験したワイガヤの経験を紹介されていて、
場所としては会社でするのではなく
蕎麦屋とか旅館でやっていたそうです。

そして話を盛り上げる人が必要で
上司の悪口とか痔の話しとか
仕事とは直接関係ない話もしていくうちに
だんだんと仕事の話になって
参加者全員を巻き込んで連帯感をもって
プロジェクトを進めることが出来るようになるようです。

数字による成果主義の現代の日本にこそ
ホンダ流のワイガヤが必要ではと書かれています。
ホンダ流ワイガヤのすすめ.jpg
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2015年02月26日

自信を育てるのは自分・養老孟司

養老さんの本でもう一つ気になったのが
自分を育てるのは自分自身という所です。

養老さんは人生の岐路に立った時には
楽でない方を選んでこられたようです。

そして問題が発生して壁にぶち当たった時には
逃げだすのが効率的と思っても
そこで問題を回避してしまうと
また別の問題が起こった時に
立ち往生してしまうと書かれています。

自分がどの程度の問題まで対応できるか
自分の胃袋の大きさを知ることが大切で
さまざまな人と付き合うことで
自分自身を知ることができるそうです。

確かに人間が生きていくうえで
いろんな問題が降りかかってきます。
それは他人との関係で起こることもあり
自分ではどうしようもないことがあります。

そんな時に他人の考えを理解した上で
対処できれば自分の力となって
それが自信となる気もします。

しかし自分ではどうしようもないような
問題である場合は正面からぶつかっていくと
自分自身を破壊する可能性もあるので
そんな時は逃げるが一番ではないでしょうか。
自分の壁.jpg
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2015年02月25日

私の体は私だけのものではない・養老孟司

養老孟司さんの本を初めて読むことになりました。

養老さんの本としては「バカの壁」が有名ですが
私は読んだことがありません。
ところが本屋をうろついていたら
「自分の壁」と題した新書版の本が目につきました。

本の中にある養老さんの紹介文を読むと
東京大学の医学部を卒業後解剖学を
専門に研究されていた方の様です。

本の中に昆虫採集のお話が出てきます。
虫好きの少年だったのでしょうが
大人になっても虫好きが続いているみたいです。

本の中で面白いと思ったのが
チョウの完全変態のお話です。

幼虫の時は青虫で木とか野菜の葉っぱを食べて
大きくなるのですが、いったんサナギになり
そのあとは全く違う姿かたちのチョウに変身します。

養老さんによるとこれは昔は二つの種類の
虫だったのがどういう理由か分かりませんが
合体して一つの虫になったのではという仮説です。
同じことがヒトデにも言えるようです。

また人間の細胞の中にある
ミトコンドリアにも言えるようで、
昔は外の世界にいたミトコンドリアが
いつの時からか人間の細胞に
住み着いたのではという事です。

思いもよらない仮説ですが
専門家の方が考えると
このような結論になるのでしょう。
自分の壁.jpg
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2014年11月21日

人の意見をよく聴くこと「私の財産告白」本多静六

本多さんは人を使うには
人の意見を虚心坦懐に聞き取るだけの雅量を
持ち合わせる事が必要と言われています。

「部下や社員の持ち込んでくる意見とか提案は、
 経験と研究を積んだ上長者には、
 常に概してつまらぬと感じられるものが多い。

 しかし、それを天からつまらぬとこき下ろしたり、
 フフンといった態度で軽くあしらってしまってはならない。

 上長者にはつまらなくとも、愚案と思えても、
 本人にとっては全く一生懸命の場合が多く、
 あまりにあっさりと片づけれれてしまっては、
 部下たるもの大いに落胆せざるを得ない。

 この場合、どんなに忙しくとも、
 またどんなに馬鹿馬鹿しくとも、
 いちいち親身になって聴いてやるだけの用意と
 忍耐がなんとしても必要である。

 それが上長者としてのエチケットでもあり、
 義務でもあるというものだ。

 上長者たるものは、絶えず業務上や
 研究上の意見を部下に求めることとし
 採用しても、しなくても、どちらだって
 大差ないといった程度のものすら、
 できるだけ採用の形で取り入れることとしたい。」

問題解決のためのアプローチとして
個人個人でやり方が違います。

人によっては問題が発生したことを
いち早く察知してその情報を得ることで
素早く対応することで問題が大きくならない様にと考えます。

別の考えでは、問題が起きないように
現状の問題が起きている原因を突き止めて
それを解決することで将来の問題発生の危険性を
低くしようと考えて行動します。

企業で働いていると問題解決のアプローチが
人それぞれで違うので、グループで問題解決を行う場合は
それぞれの意見を出し合ってよくその内容を吟味して
さてどの方法で課題解決を進めるのかを決定する必要があります。

その時に自分の意見をみんなに説明して
みんながその考え方を吟味してくれることが重要な気がします。
そうすると自分の意見の好い所も悪い所も良く見えてきて
納得して決定された課題解決方法に従えるのではないでしょうか。
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2014年11月20日

仕事の上手な頼み方「私の財産告白」本多静六

本多さんは人にものを頼むときには
本人のためになるような課題を依頼されていた様です。

「人を使うのに、人の名前を、早く、
 正しく覚え込むことといったが、
 これはなんでもないことのようで、
 きわめて大切なことである。

 私は、部下の人々に仕事を頼む場合、
 それがどんな些細なことでも、
 いちいち、正しい名前をハッキリ呼んで、
 いつもねんごろにいいつけるようにしてきた。

 またその仕事の内容についてもよく吟味をして、
 頼まれたものに、なんだこんなことと
 いわれないようにつとめてきた。

 若い人々に何かを頼む場合、無理にならない程度に、
 必ずその人の地位や力量に比して、
 少し上のものを選ぶようにし、

 「これはちょっと重要なことだな、
 しかしおれにだって大丈夫できるぞ」
 といった気持になれるものを
 適材適時に与えるようにした。

 そうして私は、出来上がった仕事に対して
 あくまでも親切に再検討を加え、
 相違の程度によっては、いつも部下の名前でこれを発表し、
 学業または事業上の名誉をその人に得させるように心掛けてきたのである。」

本多さんのこの文章を読んでいると
理想の上司像が見えてきます。

正しい名前で呼ぶと言うのは当たり前のことと
思いますが大量の部下をお持ちの方の場合は
それを行うことは難しいのかもしれません。

下っ端の人からするとはるか上位の人から
自分の名前を覚えてくれていることは
とっても嬉し事なのだと思います。

それと仕事の与え方とその成果に対して
内容を吟味して修正を掛けたうえで
本人の手柄とされている点も立派なことと思います。

企業の中では部下のやった仕事を
自分がしたように手柄を取ってしまう上司も
おられるようです。

企業の中で頭角を現すということは大変なことと思いますが
人の手柄を横取りして出世することは
それは一つの能力かもしれませんが
通常はさけるべき行動とお思います。
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2014年11月19日

人物の正しい評価「私の財産告白」本多静六

本多さんは上に立つ人というのは
部下の人について裏の裏まで見透かしていることが
大切であると書かれています。

「必要な時に、必要な知らぬ顔が出来れば、
 もう人使いも一人前といえる。
 ところが、これがわれわれ凡人にはなかなか難しい。

 つい何事も顔色に出てしまう。
 言葉に出てしまう。いわなくてものことをいって、
 いわゆるしも舌に及ばずで、取り返しがつかなくなる。

 世の中には、即時即決を要する問題も多いが、
 また往々にして、この知らん顔が
 一番いい解決方法なる問題も少なくない。
 人を使う立場にある人はこのことを知らなくてはならない。

 しかし、それとは反対に、知らぬ顔をしていながら、
 何から何まで万事御承知で、ときおり、
 部下のものの胆を冷やさせる手も肝要だ。
 またこれがあってこそ、
 知らぬ顔の半兵衛も生きてくるというわけである。

 だからして、人の長たらんとするには、
 多くの部下の考えが常にどう動いていているか、
 個々の仕事振りが果たしてどんなものであるか、
 怠らず心を配り、何時も正しい評価の上に立って、
 すべてを取り仕切らねばならない。」

会社の給料は人事評価によって昇給もボーナスも決まります。
それは半期ごとに決める目標管理(計画)に対し
結果が如何であったがを半期が終わる頃に
確認してその出来映えによって評価されます。

その活動の結果が売上金額とかの客観的な数字で
表される場合は評価結果について
余人が口を挟むことはないのですが
そうでない場合は上司のおぼえ次第で
如何様にでもなると言うのが会社の人事評価制度です。

制度として立派な人事制度を作っていても
最後は上司がいかに部下を正しく評価して
その努力具合と出した結果を正しく評価することが
大事となりますが、仕事を怠けている人に対して
悪い評価をつけるというのも勇気がいる
上司の仕事という気もしてきています。
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2014年11月18日

誠意とテクニック「私の財産告白」本多静六

本多さんは欠点は長所を褒めた後に
少しだけ指摘するのが良いと書かれています。

「対人問題のすべては、まずお互いの誠心誠意が
 基調にならなければならぬのはいうまでもない。
 しかし、そこには常に多少のテクニックも必要である。

 まず人の長となって、第一に注意しなければならぬことは、
 自分の知識や経験を事ごとに振り回さないことである。
 
 振り回しすぎると、部下のものは何もかもそれのみに頼ることになり
 自然と立案工夫の努力を欠くに至るばかりでなく、
 すべての責任までオヤジに転嫁する気持ちにさせ、
 はなはだしく、その局部内を、イージーゴーイングな、
 活気のない、だれ切ったものにしてしまうおそれがある。

 上長が部下に対し、責任はわしが負う。
 しかし仕事は君らに一任する。
 なんでも思う存分やってみたまえ、
 というふうに出ると、かえって彼ら自身に責任を感じ、
 自発的にいろいろ創意をこらすばかりでなく、
 大事な処は大事を取って、いちいち相談を持ちかけてくる。

 したがって何事も大過はない。
 しかもみんなは、それを「自分の仕事」として
 いっそう打ち込んで掛かるのだから、
 かえって、その官庁なり会社なりの仕事は、
 活気に満ち、能率も大いに上がってくるものである。」

自分の能力の高さをひけらす人というのがたまにいます。
過去に自分が行った仕事について
その成果とか自分の着眼点の素晴らしさを
自画自賛してそれを周りの人に話すのです。

そうすると、確かにすばらしいと感じるとともに
あなたの自慢話は聞きたくないとも感じてしまうものですので
そんな話はしないに越したことはありません。

何事もうまくゆくということは
周りから如何のこうのと言ってうまくゆく例はありません。
本人がその気になって自ら課題に取り組むことが必要で
その気にさせるということが大事な事と思います。

そのためには本多さんが書かれているように、
本人に仕事を任せるということが大事なのでしょう。
任されたことについては本人は真剣に取り組むことになるのでしょう。

後は注意する方法のテクニックも必要という事のようです。
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2014年11月17日

人を使うには・人に使われるには「私の財産告白」本多静六

本多さんは人を使うには
使う人の誠心誠意の問題であると書かれています。

「「使うには使われろ」という言葉が昔からある。
 これは、人を上手に使うには、
 自分自身まず使われる体験をもたねばならぬという意味と、
 また使う者は使われる者の身になって
 すべてを考えよという意味の二つが含まれているようである。

 さらに徹底した解釈では、人を使うのは、
 結局人に使われるのだというのである。

 もう3、40年も前のことになる。
 有名な麻布中学の校長をしていた
 江原素六翁が、寄宿舎の窓から
 生徒が投げ散らかす紙くずを、
 いつも早朝、自らニコニコしながら
 拾い歩いていたが、とうとう一人早起きの生徒が
 それをみつけて、寄宿生一同に話したところ、
 みんなが感動して、それから一切紙屑を
 窓下へ捨てぬようになったということだった。

 さっそくその真似事の実行を思い立った。
 ところが、私の姿を見付けたときこそ、
 舎生一同も掃除を手伝ってくれたが、
 その効果もその時だけで、一向に長続きをせず、
 舎内は相変わらず不潔と乱雑を改めなかった。

 すなわち、江原翁は生徒を真にわが子のように愛し、
 その遊び跡の散らかりを片付けるくらいの気持ちで、
 全く慈愛の心から紙屑を拾って歩かれたのであるが、
 私は形こそ同じであっても、その実はムカッ腹を立てつつ
 「どうだこれを見ないか」といった気持が動いていたため、
 どうしても江原先生にはどうしても及びつかなかったのである。」

人に使われるのは、
長いものには巻かれる精神さえあれば
簡単な事とおもいます。

でもその精神を持ち合わせる事が出来ない人もおられるでしょうから
そのような人にはとっても難しい心構えかもしれません。

一方の人を使うということは、とっても難しい事と思います。
自分はこうして欲しいと思っても相手は相手の考え方があるので
それぞれの人の考え方に従って行動するからです。

でも人を自分の思う方向に動いてもらわないと
困る場合も出てきます。

そんな時には相手の立場に立ったうえで
こちらの意図を理解してもらって
行動してもらうことが必要なのですが
なかなかそれが難しいのが現実ではないでしょうか。

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2014年11月14日

あいつ生意気な?「私の財産告白」本多静六

本多さんは何事も行き過ぎると
問題となると書かれています。

「私が学士会の寄付金に一千円を投げ出し、
 それが少なすぎるというのではなく、
 分不相応に多過ぎるというので、
 同僚諸氏から辞表の勧告まで受けた事件については、
 前にもちょっぴり触れておいたが、
 それは私が39歳の秋、日露戦争勃発の年であった。

 この一件の事情も、いま少し深く掘り下げてみると、
 これは単なる寄付金額の多少の問題ではなく、
 およそ勤め先の同僚間には、
 こんな思わぬことまで感情の刺戟となり
 しゃくの種となり、果ては辞職勧告の理由にすら
 持ってこられるのかという、お互いに
 大切な反省材料となるものがある。

 多人数集まって一緒に仕事をすすめていくためには、
 こうした些細なことにまで、
 だれしも一応気を配る必要があるという
 事実に気付かされるのである。

 すなわち、自分一人、何も間違っておらぬつもりで
 −事実また決して間違ておらなくとも−
 あまりに確信に満ちた態度で押し通しすぎると、
 得てして周囲の反感を招きやすい。

 あまりにいい気になってパリパリやりすぎると、
 「あいつ生意気な」ということになりやすい。
 人間も「あいつ生意気な」といわれるまでになれば、
 ある意味ではもうしめたものであるが、
 それが調子に乗りすぎると、
 とんだつまずきに行き当たる。」

寄付金をし過ぎただけで同僚の方から
辞職するように迫られるとは
ちょっとビックする話ですが、
人間関係で問題を起こさないようにするには
周りの人間と同じ動きをすることが
肝要なのでしょう。

しかしそれは個性をなくすということでもあるので
一概に良い事ではないのでしょうが
個性を出すべきところとそうでないところを
使い分ける必要があるということなのでしょう。

しかし本多さんのここの例で行くと
本多さんとしては個性を出して
多く寄付金を出すべき時と判断された場面だったのでしょうが
それでも同僚の反発を受けてしまったと言うことになります。

人と同じ行動をとっておくということは
とっても日本的な考え方なのかもしれませんが
良い時もありますが弊害もある気がします。
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2014年11月13日

複雑な人と人との問題「私の財産告白」本多静六

本多さんは人と人との問題はなんでもないことが
複雑を極めてくると書かれています。

「世の中で一番ありふれて、
 一番真剣なのは金儲けの問題であるが、
 これは比較的単純といえば単純、
 多くの場合「ギブ・アンド・テーク」で
 片づけてしまうことも出来る。
 しかし、人と人との問題となるとそうはいかない。

 いざこざ、こんなものは、
 その実体を突き詰めてみると、
 本質的な問題点は案外に見当たらず、
 人と人との感情のもつれから
 生まれてきているものがはなはだ多い。

 同じように、十人寄れば十人、
 百人寄れば百人だけのスケールにおいて、
 どんな職場にも面倒な「人と人」との問題が
 常に起こりやすい。

 いわゆるサラリーマン訓といった内容も、
 まず、その大半は、おのずから人と人との
 うるさい問題にどう善処していくかの、
 自戒と要領とになってくるわけである。」

人間関係は確かに厄介な問題と思います。
十人十色とはよく言ったもので
人間の数だけ個性がありますので
その意味では、自分と同じ感性とか
考え方を持った人間というのは
普通はこの世には存在しないことになります。

自分の思いのままに暮らしている時は
他人は関係ありませんが、
一旦会社とかで他人と一緒に仕事を
しないといけなくなると
急に人間関係の問題が出てきます。

会社という所は一つの目的をもって
そこをめがけて進める必要がありますが
人間の数だけ行き方に違いが出てきますので
そこを一つにまとめないと組織としては
うまく機能しません。

ところが組織の中にはそんなことは
お構いなしに自分の考え方で
推し進める人も出てくるのでとても厄介なのです。

嫁姑の問題も人間関係ですが
人間関係の問題は人間である以上は
昔も今も変わらない永遠のテーマなのでしょう。
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2014年11月12日

渋沢さんのエライところ「私の財産告白」本多静六

本多さんは渋沢栄一さんのエライところは
いったん引き受けたら最後まで
面倒を見るところと書かれています。

「理・情兼ねそなわった大成功者として、
 私は郷土の先輩渋沢栄一翁をみるのである。

 渋沢さんという人はなかなかの理屈屋で、
 理屈に合わぬことはなんとしても
 取り上げなかった。

 事業でも、寄附でも、身の上相談でも、
 そこに合理性の発見されない限り
 てんで振り向かなかった。

 ところが、いったんこうと引き受けたからには、
 何から何まで親身になってよく世話をつづけられた。
 そこに多少の不合理が生じようと、
 理屈に合わぬことが出てこようと、
 今度は打って変わった人情で押し通され、
 最後まで親切に指導をつづけられた。

 理に始め、情で終わられる、
 珍しい存在であった。

 私が渋沢さんに初めて近づいたのは、
 埼玉県の学生のために
 育英資金を集めようと思い立った時で
 ドイツから帰って間もなくの頃である。

 いったん後援を約された渋沢さんは、
 私などよりもかえって熱心なくらいに
 よく世話をつづけられ、
 いまに牛込の高台にある立派な学生宿舎の
 基礎を築きあがられたのである。」

ここで本多さんは渋沢さんから
発起人である本多さん自身が
いくらお金を出すかを聞かれて
300円と答えられています。

当時の300円がどれくらいの価値かは
分かりませんが学校教師が出すお金としては
かなりの額だったのでしょう。

渋沢さんはそのお金をみて
たちまち真剣な顔つきになり
育英会の後ろ盾になってくれて様です。

立派な人というのは理屈をこねるが
いったん引き受けると
理屈は理屈、人情は人情と割り切って
信義をもってこれらを結び付けて対応されるので
大成されるのでしょう。
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2014年11月11日

儲けるには儲けさせよ「私の財産告白」本多静六

本多さんは自分だけが儲けることはダメと書かれています。

「理屈ばかりでも金儲けはできないと同時に、
 人情ばかりでも金儲けはできない。
 この二つのほどよい兼ね合いにおいて、
 常に新しい金儲けの道が拓かれてくるものである。

 世の中には、おのれの欲せざる処を人に及ぼし、
 おのれの欲する処を人に施さず、
 自分だけは少しでも多く儲けたいが、
 人に儲けさせるのは一文でもイヤといった
 類の者をみかけるが、そんなのに限って
 大成した例はほとんどないようである。

 徳は孤ならず、必ず隣有りで
 金儲けもまた相身お互いでなければならない。
 儲けようと思えば人にも儲けさせ、
 人に儲けさせれば自然に自分も
 儲かってくるという寸法である。

 いつの場合何事も自分一個の功となさず、
 つとめて人にも譲るべきである。
 儲ける場合必ずまた儲けさせる地位に立つべきである。
 しかも、これが度重なれば、
 ついには周囲の人々からも立てられ、
 成功者中の成功者となることができるのである」

商売の基本としては
お客様を儲けさせることができれば
その見返りとして自分にも
儲ける事ができると聞いたことがあります。

それとはちょっと意味合いが違うかもしれませんが
本多さんはここでは自分独りが儲けるのではなく
儲けをいろんな人で分け合う必要性を説かれています。

自分だけが良い目にあおうとするのではなく
儲けを出すことができたのは関係者のおかげとの
感謝の念を込めてみんなに分け与えるべきとの事でしょう。

その意味では業績が良い会社があった場合は
ボーナスとかで従業員に分け与えて欲しいし
退職金もそれなりに奮発しても良いのではと思いますが
会社という所はそうは問屋が卸さないのかもしれません。
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2014年11月10日

小成金たちの運命「私の財産告白」本多静六

本多さんは手っ取り早く成功せんとするものは、
手っ取り早く失敗してしまうと書かれています。

「かれこれ40年もの昔になろうか、
 私の知っている一人の学生があった。
 競馬に出掛けて、1千円の大当たりを取った。

 一カ月わずか6円の学費で暮らしていけた当時の一千円である。
 初めは手がふるえてその金を受け取ることができないくらいであったが
 使い慣れるにしたがってだんだん度胸も図太くなり、 
 たちまち放蕩を始めて、三カ月後にはもう元の木阿弥になってしまった。

 そうして、あとに残ったのは悪性の花柳病と
 怠け癖ばかりで、とどのつまりは、
 学業をすら放擲(ほうてき)して行方不明、
 ついに再びその消息を聞くことがなかった。

 実は、戦後のインフレ騒ぎと変動のどさくさで、
 全国到るところにそうせいした
 大小の新円成金が、ほとんど大部分、
 これと同じみちを辿ったのではあるまいか。

 金儲けを甘くみてはいけない。
 真の金儲けはだた、徐々に堅実に、
 急がず、休まず、自己の本職本業を
 守って努力を積み重ねていくほか、
 別にこれぞという名策名案ないのである。

 私が賛する儲ける事とは
 独り金銭上の儲けをいうばかりではなく、
 道徳上にも、教養上にも、生活上にも、
 社会奉仕上にもウンとプラスすることをいうのである。

 前にもしばしば、金は職業道楽の粕であるといったが、
 精神的に儲け、生活的に儲け、社会的地位、
 名誉に儲けた、儲け粕でしかないのである。」

ここの例では競馬となっていますが
宝くじでも同じと思いますが
急に転がり込んできたお金というものは
自分の手に負えるものではなく知らない間に
消えて無くなる運命のようです。

変にお金が入ってくると
今までの生活パターンが崩れてしまい
この例のように放蕩生活になって
自分の生活を壊してしまいますので
私は宝くじは買わないことにしています。

ここの本多さんの文章で心に留まるのは
お金というのは努力した結果の粕
であるというところではないでしょうか。
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